自己評価が低いのはなにが原因?




やあ、天狗堂です。

今回は「自己評価の低さとその解決法」について考えてみます。

「自己評価が低い」という生きづらさ

ふだん相談事を受けてよく思うのが「自己評価の低い方って多いなあ!」ということです。

まあ、気持ちはわかります。ほとんどの方は、何かしらの部分で「ダメな自分」というものを抱えているものでしょう。そして日本の社会というのは「他人のダメな部分」に対して異様に厳しいものだと思うのです。

ではこうした「自己評価の低さ」あるいは「自分を好きになれないこと」に対して仏教はどう答えるか、天狗堂なりに解説していきます。

「自分を愛せない」は苦しみの源

さて、まず「自分のことをダメな人間だと卑下することは、のちに様々な問題を引き起こす」ことに注目しましょう。

たとえば、

  1. 自分の弱さを認めたくないがために、逆に傲慢、自慢によって表面を取り繕う
  2. 親しい人間に嫌われるのを恐れて相手に依存してしまう。あるいは自分のすべてを捧げようと考えてしまう
  3. 自分を低く見積もっているために、自身を傷つけてしまう。または誰とでも簡単にセックスしてしまう
  4. 他人に見捨てられたくないがために失敗を極度に恐れる。うまく言いたいことが言えない

といった結果となって表れます。あなたの身の回りにもいるんじゃないでしょうか? これらはすべて自己評価の低さに起因するものです。

「自分には価値がない」のは何が原因!?

では自分に対しネガティブな評価をしてしまう、その理由は何なのでしょうか?

それはズバリ、「過去に起こったこと」に囚われているせいです。そしてここで重要なのは「過去に何かがあった」からではなく「過去に何があったにせよ、そのことに囚われている」からだということです。この二つはまったく意味が違いますので注意してください。

過去に起きたこと

まず「過去に何が起こったのか?」について考えてみましょう。心が傷つくのにも様々な理由がありますが、

  • 親から叱られてばかりで育った
  • 親しい人から愛されなかった
  • ある失敗により周囲から人が去っていった

といったことが考えられます。

過去に起きたこと、の結果

こうした経験から「自分には価値がない」と思いこむようになり、結果として、

  • 〇〇をしなければならない(しないと嫌われる)
  • 〇〇をしてはダメ(したら失敗する)

という考えにとりつかれてしまうのです。

重要なのは「何が起こったか」ではない

しかし考えてみてください。

過去に辛いできごとがあったとしても、すべての人が同じように傷つき、自暴自棄な行動に走るでしょうか? 自分の中の惨めさを抱えたまま鬱々と生きているのでしょうか?

違いますよね。では、なぜ人によって違いが出るのでしょう? できごとの悲惨さ? しかし、世界中に目をやればそれこそ悲惨な状況というのは無数にあるわけです。なのに、そこでへし折られず前を向いて生きる人がいるのも事実です。

「過去を見るか」「現在を見るか」で違いが出る

つまり問題なのは「過去に起きたできごとの強弱」にはないということです。

注意すべきは「過去になにがあったにせよ、そのことに囚われている」点なのです。自己評価が低い人というのは一様に、過去の出来事を注視するのにものすごいエネルギーを使っているものです。「よくもまあ、ここまで」と思うほどくりかえし昔のことを思い返しては、「だから自分はダメな人間なんだ」と自分の評価を下げることに熱中してしまうのです。

それに対し「現在を見ている人」というのは、「昔こういうことがあったけれど、それは自分が悪かったわけじゃなく、そのことが今の自分を規定したりもしない」と考えているのです。だから前をむいて生きられるのですな。

過去に囚われ続けると、人生そのものが困難になる

過去に囚われ、自分にネガティブな評価を続けているうちは「〇〇しなければならない」「〇〇してはダメ」という思考を繰り返してしまいます。その結果、自分の意志というものがなくなってしまうのです。

自分がしたいこと、変えていきたいことをぐっと押さえつけ、「私は〇〇じゃなくちゃダメだ」と変化を拒む姿勢は見ていて悲しいものがあります。そうした「かわいそうな自分」を維持するために無駄にするエネルギーというのはいかほどのものなんでしょう。もったいないことだと思います。

仕組みの中に自分がいる、と自覚することが大切

いかがでしょうか。自己評価が低い、という問題にはこうした仕組みがあります。

もちろん仕組みを知ったからといってすぐに思考のクセが直るわけではありません。ですが、まずは仕組みを理解して「ああ、自分はこの中にいるのだな」と自覚することから第一歩ははじまります。

過去に何があったにせよそのことから離れなければ、あなたは「自分はかわいそうな人間だ」ということを証明するために莫大なエネルギーを使い、消耗して人生そのものを無駄にしてしまうでしょう。

そうならないためには考え方を変えていく意思が必要なのです。

今日はこんなところかな。

ではでは。







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