天狗堂です。

Twitterなどを眺めていると「ああ、この人ドツボにはまってるな~」という方をお見かけします。
異常に周囲に攻撃的になったり、被害妄想じみたことを吐いていたりと・・・それで幸せならいいですけど、どうみてもストレスの素でしかなかったりするんですよね。
なぜこんな有様になったのか?
ドツボにはまった方を調べてみると次のようなことがわかりました。
B⇒一見関係ありそうな(でもほとんど無関係の)社会的問題がある
C⇒AとBを結び付けて「俺のこの苦しみはBがあるから悪いんだ!!!!」と叫ぶ
「わたしに配慮してくれない歪んだ社会」という地獄

このように個人的な悩みと社会的正義を結びつけて煮詰めていくと「あの人は私の気持ちに配慮してくれない!非人間の外道だ!」という人格が出来上がります。
腐臭を放つ焦げたカレーのようなものです。
こうなってしまうともう、無関係な人まで信じられなくなってしまいます。
「こいつもアレに賛同する輩か・・・!!!」なんて。
周りの人物が次から次へと敵に見えてしまう被害妄想。これが人の心のつくりだす地獄です。
コンプレックス×政治的権力=最悪の結果に
なんの権限もない個人であれば周囲の人から嫌われるだけです。
まあ、それはそれで好きに生きればいいって話ですよね?
ですが、政治や経済のリーダーがコンプレックスにもとづいて方針を決めると最悪な結果がもたらされます。
もっとも悲惨な境遇からのし上がった帝王、朱 元璋
朱 元璋(1368年1月23日-1398年6月24日)は中国の明王朝の創始者です。

貧農の家に生まれた朱元璋は、幼いころ家族を飢饉で失い、自身もまた寺に身をよせ乞食同然の生活を送っていたと伝えられています。
のちに皇帝に即位するも、こうした過去のコンプレックスは抜けていなかったようで、「文字の獄」と呼ばれる大弾圧を行っています。
「光」「禿」「僧」などの字を使っただけで、洪武帝が昔僧侶であったことをあてこすったとされて薛祥ら功臣が殺され、かつて洪武帝が盗賊まがいのことをしていたので、「盗」の字と同音の「道」、「僧」と音の近い「生」の字を使った者がそれだけで殺された。
自分のコンプレックスを直視できなかった者はやがて周囲に恨みをまき散らす。それが皇帝という絶対的権力者であるからこそなおさらタチが悪いという話です。
「このままじゃダメだな」と気づくことが転換へのカギ

- 自分の境遇はあの人が悪い
- わたしが困っていた時、社会は何もしてくれなかった
- ○○という主張が自分を苦しめている
こんな風に自分の悩みをだれかの責任としてなすりつけると、そこで時間は止まってしまいます。
他者を攻撃するのに熱中して妥当な解決策を放棄してしまうからです。
こうした「お気持ち教」の人々が再び立ち上がるためには、まず一度挫折することが大切です。
「このままじゃ自分のなやみも、訴えたいことも理解されないな」と気づくことで人は再生します。
一回ぺしゃんこにされて、そこから這い上がることで人は再び歩み出すことができるのです。
這い上がっていきましょう。
ではでは。