お釈迦さまの入滅と火葬。ブッダが遺した最期の言葉とは?




やあ、天狗堂です。

前回の仏教教団の拡大と伝道~釈尊の十大弟子では、初期の仏教教団に様々な人材が集まっていく過程を見ていきました。

釈尊存命中、仏教教団は拡大の一途をたどりますが、しかし形あるものはすべて滅びるものです。

伝道の旅が45年続き齢80となったお釈迦さまの身体は、もはや限界が近づいていました。

今回はそんなお釈迦さまの最期の時を見ていくことにしましょう。

自燈明・法燈明

初転法輪から45年。このころには仏教教団はとても大きな規模となっていました。

比丘(正式な出家者)たちは各地に散らばり、数人から数十人のグループを作って遍歴を続ける体制をとっていました。

しかしなぜ、一塊になって大きな集団でいてはダメだったのでしょう?

その理由は比丘らの食事や住居が在家信者のお布施で賄われていたことからきています。

比丘の目標は成道=解脱であり、修行を行うことが何より重視されていました。そのため比丘は労働ををせず、財産を持つこともありません。

そのために食事や住居は一般の在家信者に寄付してもらわなくてはならないわけですが、比丘らの数が多すぎる小さな町や村は困ってしまいます。

ですから釈尊は修行者たちをグループ分けし、それぞれが自立して修行生活を送るよう指導します。この修行者グループのことを「サンガ」といいます。

最期の旅

これは教主であるお釈迦さまも例外ではありません。釈尊の最期の姿を記した『大般涅槃経』(『大パリニッバーナ経』とも)によれば、お釈迦さまもみずからサンガを率い北インド各地を訪問していたそうです。

同行するのは十大弟子のひとり、お釈迦さまの従兄弟でもあるアーナンダです。

一行はマガダ国という国からからヴァッジ国へ移動し村々を訪れ、

・修行者たちには「四諦」や「八正道」等の教え

・在家信者らに対しては戒を守り穏やかな生活を心がけることで得られる果報

などを説いて聞かせます。

ベールヴァ村の安居

こうして各地を点在しているうちに雨季がやってきます。

インドの気候は乾季と雨期がはっきりしていて、雨期になると大雨で移動が困難になります。そこで修行者たちは一か所に滞在し、自分の行に打ち込む期間と定めていました。この期間を「雨安居」と呼びます。

この年、お釈迦さまはベールヴァという村を訪れ、そこで雨季と安居を迎えます。

この案居中にお釈迦さまは重い病気にかかり、命が危ういほどの状態となります。幸いにも一命はとりとめましたが、この時釈尊は自分の寿命が長くないことを実感します。

アーナンダとの対話

十大弟子にして付き人であるアーナンダは、釈尊が一命をとりとめたことに安堵しこう言いました。

「健康が戻られてほっとしました。修行者たちやサンガについて何か遺言せずに亡くなったらと思うと・・・。あなたがいなくなっては誰を頼ればいいのかわかりません」

そう口にするアーナンダに対し釈尊は言います。

「アーナンダよ。私は自分のつかんだ教えをことごとく教えてきた。秘密の奥義のようなものを弟子に隠すことはしない。私が今まで説いてきたこと、それが全てだ」

この「秘密の奥義」を握り拳に例えて「師に握拳なし」と言います。

自らと法をよりどころとするように

お釈迦さまは続けてアーナンダを諭します。

「アーナンダよ。君たちは自分を灯明として、自分自身をよりどころにしなさい。他のものをよりどころとせず、法をよりどころとしなさい」

この教えを「自燈明・法燈明」と呼びます。そして釈尊はこれを具体的に、

「比丘は身体について、感覚について、心について、諸法について、それらを観察し、熱心につとめ、明確に理解し、よく気をつけて、世界における欲と憂いを捨て去るべきである」

と説明しました。

自燈明、法燈明が語るもの

さて、この自燈明・法燈明が伝えるもの。それは「誰かの言いなりになったままでは心の平穏は得られない」ということです。

他人が語ることを鵜呑みにして自分の頭で考えなければ、本当に自分の心が切り開かれたことにはなりません。

同じように自燈明が法燈明より先に来るのは、いくら良いアイディアであっても

「ただ盲目的に外部の決まりごとに従え」

ということになれば、法に従うことばかり忠実になってしまうからです。

自己こそが自分の主

法の奴隷になることなく、自分自身の人生を生きなくてはならない。お釈迦さまはこれを、

・「この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか」

・「賢者は自分の身を整えて目的を達し、徳目を達し、名声を得る。幸せを生み、天の世界に生まれ、明らかな智慧を獲得する」

・「賢者は自分の身を整えて悩みのうちにあって悩まなず、自分のいかなる束縛をも断ち切る」

・「賢者は自分の身を整えてすべての悪い領域を捨て、すべての苦しみから逃れ、ニルバーナに近づく」

等の言葉で説明しています。

内と外の真理とは

ここで言う「自分をよりどころとして歩みなさい」とは、言い換えるなら「自分の中にある仏性を正しく認識しよう」とも言えます。

私たちが陥る貪りや怒り、愚かさを取り除いた時「目覚めた人=ブッダ」となるならば、自分の中の仏性とブッダの教えである法(ダルマ)は等しいものになるはずです。

お釈迦さまはここで「自分の内と外にある絶対的な真理」を頼りとして修行に励むよう語ったのです。

鍛冶屋チュンダとお釈迦さまの死因

その後もお釈迦さまは各地を転々とし、ある時パーヴァ―という町のマンゴー林に滞在します。

その土地の持ち主である鍛冶屋チュンダは、お釈迦さまの来訪を喜び、

「これはごちそうを作っておもてなししなければ!!」

と張り切ります。

チュンダが並べたごちそうの数々。釈尊はその中から「やわらか豚」なる料理を選び「私はこれをいただくとしよう。それ以外の料理はすべて皆に振る舞ってほしい」と告げます。

その後、「やわらか豚」を食べたお釈迦様の身に激しい食中毒の症状があらわれます。

嘔吐と下痢による衰弱。お釈迦さまは平静を保ちますが、チュンダは何が起きたのか見抜いてしまいます。

最期の旅への同行

「取り返しのつかないことをしてしまった」

チュンダは責任を感じお釈迦さまの旅に同行します。

釈尊ら一行はクシナガラという町を目指して歩きますが、すでにお釈迦さまの衰弱は誰の目にも明らかでした。

「少し疲れてしまったようだ。横になりたい」

お釈迦さまはそう言い、とある林にて休息をとりつつチュンダと内弟子のアーナンダを呼び寄せます。

「チュンダよ、よく聞きなさい。お前は私のことで責任を感じているかもしれない。だが自分を責めるな。私が死ぬのは私が生まれたからなのだ」

アーナンダへの忠告

つぎに内弟子のアーナンダを呼び寄せたお釈迦さまはこう言います。

「アーナンダよ。そのうち私に毒を盛ったなどとチュンダを非難するものが現れるかもしれない。

だが、それは間違いだ。チュンダは私の生涯の悟りを完成させ、完全なる涅槃へ至らせてくれたからだ」

そしてお釈迦さまは、かつて悟りを得る前に乳粥を捧げてくれたスジャータのことを語り、こう続けます。

「チュンダの供養はスジャータの供養と並び、わが生涯でもっとも重要なものであった。大いなる威徳ある供養だ」

そしてお釈迦さまはチュンダを呼び寄せこう言います。

「チュンダよ、自分を責めるでない。お前は誰も成し得ないことをやってのけたのだ」

釈尊は残った力を振り絞り、高らかに宣言します。

「他者に分け与えられるものにこそ功徳あり。むさぼりや怒り、愚かさを打ち砕き、人の心を超越する」

クシナガラにて、最期の時。

お釈迦さまはその後も旅を続けますが、とうとうクシナガラという土地で力尽きます。

サーラ樹(沙羅双樹)の林にたどり着いたお釈迦さまは、その場に床を用意させ頭を北に向けて横たわります。この逸話がもとになり日本における北枕の風習となりました。

釈尊が横たわったその時、沙羅双樹がいっせいに開花し、天界からはマンダーラヴァ(曼陀羅華)という花が降り注ぎます。

この花が降り注いだという逸話からは、仏教の儀式の一つ「散華」が生まれます。また、中古書店の「まんだらけ」も「まんがだらけ」と曼陀羅華をかけたネーミングかと思われます。

お釈迦様、自分の葬儀を指示する

釈尊は天から降り注ぐ花を見て、

「これは今まさに入滅する自分を供養するためのものだろう。だが私(仏)にとって最高の供養は、比丘らが法に従って精進することである」

と述べます。

つまるところ釈尊は、出家者らは自分の死に動揺することなく修行に専念するべきだと考えていたのです。

そこで内弟子アーナンダはお釈迦さまの葬儀をどうすればいいのか問います。釈尊は、

「お前たちは葬儀に関わらず修行に励むがよい。自分の葬儀は在家の信者に任せるように」

と言い、いくつかの手順を指示します。

アーナンダは別れを惜しんで涙を流しますが、釈尊は「存在するものはすべて流れ行くものだ」と述べた上で、

「遠き昔、私の前にも悟りを開いたものがあった。彼ら正覚者たちにもアーナンダのような最上の付き人がいた。

アーナンダよ、お前は皆がいつ自分に会えばいいのか最適なタイミングを知っている。

お前は皆の気持ちを穏やかにさせる不思議な特徴がある」

と、アーナンダのこれまでの働きをねぎらい、褒め称えました。

最後の弟子、スバッダ

お釈迦様が息を引き取ろうとしていたその時、噂を聞きつけたスバッダという行者が教えを乞いにやってきます。

今は面会どころではないとアーナンダが断ろうとするも、釈尊はそれを遮り、スバッダの質問を許可します。

スバッダは各地で活動する他の教団(六師外道)の名をあげ、「誰が正しい道を知っているのか?あるいは間違っているのは誰か?」と訊ねます。

釈尊は「そういうことは放っておきなさい。それよりも私はあなたに理にそった法を教えよう」と言い、八正道を歩むように忠告します。

ここでスバッダは六人の思想家のうち、誰が正しくて誰が正しくないのか釈尊の見解を訊ねにやってきたわけです。

ですがお釈迦さまは「それにいちいち答えなかった(無記)」ことになります。

つまり釈尊は議論や論争のむなしさを諭し、そのかわりに「八正道」を説き、抽象的な問題に向き合っている時間があれば正しき修行に精進するようスバッダに教えたのです。

スバッダはこの説法に心打たれ、釈尊のもとに入門します。このスバッダがお釈迦さまの生涯で最後の弟子となりました。

戒律について

つぎにお釈迦さまは、

「教団が大きくなるにつれて細かい決まりごとが増えすぎた。私が入滅した後、出家者らが望むなら細かい決まり事は廃止してもいい」

と述べます。

ここで言う決まり事とはいわゆる「戒律」のことです。戒と律はもともと別のもので、「戒」は出家者や在家信者が守るべき内面的な規範(目標)のこと、「律」は教団内で守るルール(罰則付き)のことです。

初転法輪以後、仏教教団は急速に拡大していきましたが、それにつれ数々のトラブルが起こりました。そこでその都度決まり事を定めていったわけですが、釈尊はこの決まりごとが増えすぎたと感じていたわけです。

ところがこの時遺言を聞いていたアーナンダは「細かい決まり事の定義は何か?」を訊ね忘れていました。

そのためお釈迦さまの入滅後「細かい決まり」がわかる者はおらず、戒律は手つかずのままとなってしまいました。

お釈迦さまが遺した最後の言葉

そしてお釈迦さまは居並ぶ修行者らに対し、

「最後に聞いておく。ブッダや法、修行者の集い、道の実践について質問はないか?」

と、三度繰り返し訊ねます。しかし誰も答えるものはいなかったため、

「自分の教えはきちんと理解されているようだ」と述べて「ここにいる500人の修行者たちはいずれ正しい悟りに達するだろう」と予言します。

すべてを語りつくした釈尊は、

「すべては移ろい、変化し、過ぎ去るものである。比丘らよ、怠ることなく修行を完成させよ」

と述べ、そっと目を閉じました。

この言葉がお釈迦さまの最後の言葉となりました。

マッラ族と仏陀の葬儀

遺言通り、お釈迦さまの葬儀は地元クシナガラにすっむマッラ族の人びとに任されます。

マッラ族は歌や踊り、音楽、花輪、香料で釈尊の遺体を供養します。この供養は葬儀に適した日取りまで7日間の間続きました。

そして7日後、ようやく葬儀が決まり、釈尊の遺体は火葬のためクシナガラの市街へ運ばれようとしていました。ところが不思議な力がはたらき遺体はびくともしません。

釈尊の内弟子アヌルッダ長老に相談したところ、彼は天界の神々が「北からクシナガラ市内に運び込み、中央から東門を通って、市外にあるマクダバンダナ(天冠寺)という祠で火葬すること」を望んでいると告げます。

マッラ族はアヌルッダの言いつけに従いマクダバンダナの祠へ遺体を運び込み、火葬の準備を整えます。ところが薪に点火しようとしたところ、またしても不思議な力で薪に火がつきません。

マハーカッサパの到着

マッラ族が薪に点火しようとしていたその時、釈尊十大弟子のひとりマハーカッサパは、500人の比丘らとともにクシナガラを目指していました。

マハーカッサパはその途中、クシナガラからやってきたアージーヴィカ教(火の神アグニを信仰する一派)の行者から釈尊の死を知らされます。

偉大なる師の最期に立ち会いたい。駆けつけたマハーカッサパが釈尊の遺体に礼拝を済ませると、ようやく薪に火が着きます。

こうしてお釈迦様のご遺体は荼毘に付されました。火葬後に残された遺骨はマッラ族によって、またも日間舞踊、歌謡、音楽、花輪、香料で供養されます。

さて、こうして残された釈尊の遺骨をめぐってちょっとしたいさかいが起こります。インド各地からやってきった部族が、釈尊の遺骨を分け与えるように主張したのです。

あわや衝突寸前・・・と思われたところ、ドーナというバラモンが調停役を買って出ます。ドーナは釈尊の遺骨を一つの壺にまとめ、それを均等に8つの部族に分け与えました。

ちなみに、この分配に間に合わなかったモーリヤ族という部族には骨壺に残った灰が与えられています。

こうしてインド各地に遺骨(仏舎利)を祀る8つのストゥーパ(仏塔)と灰のストゥーパ、骨壺のストゥーパが建立されました。

以上がお釈迦様の最期にまつわるお話です。ということで11回に渡った「お釈迦さまの生涯」はこれで終わりです。ご覧いただきありがとうございました!!

ではでは~(*´▽`*)

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