お釈迦様の生誕した時代を僧侶が本気で解説してみる




やあ、天狗堂です。

毎年4月8日は「花まつり」の日です!!

花まつりとは仏教の開祖お釈迦さまの誕生日を祝うおまつりです。けれどどんな状況で生まれてきたかご存じない方は多いんじゃないでしょうか?

東大寺所蔵の誕生仏

実はお釈迦様が生まれた時代は、古代インド社会の伝統が変わりつつあった変革の時代でした。

それまでの社会を支配していたのはカースト制と呼ばれる身分制度でした。ところがそれを支えるバラモン教に陰りがみえはじめたのがこの時代だったのです。

お釈迦様もまたこうした社会の変化に影響を受けた一人でした。むしろこの時代でなければ仏教は誕生しなかったのかもしれません。

お釈迦様が生まれたこの時代、いったい古代インド社会に何が起こっていたのか見ていくことにしましょう。

お釈迦様が生まれる前の古代インド社会

お釈迦様が生まれる前、インド亜大陸にアーリア人が侵入し、バラモン教とカースト制という社会秩序を打ち立てました。そちらについては仏教の歴史を学ぶ!バラモン教とアーリア人、カーストの時代をご覧ください。 

お釈迦さまはいろんな名前で呼ばれている。ブッダ、如来、釈迦牟尼・・・その本名はガウタマ・シッダールタ

まずはここから見ていきましょう。

そもそも「お釈迦様」の「釈迦」とは、私たちが考えるような本名ではありません。

お釈迦さまの本名はガウタマ・シッダールタ(サンスクリット語)あるいはゴータマ・シッダッタ(パーリ語)といいます。

その他に、仏教の開祖という意味の敬称としてお釈迦様・釈尊(しゃくそん)・釈迦如来(しゃかにょらい)・釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)・世尊(せそん)などと呼ばれています。

この「釈迦」というのは、お釈迦さまの出身部族シャカ族から来たものです。

他に「さとりを開き真実に目覚めた人」という意味で、仏・ブッダ・覚者(かくしゃ)・如来(にょらい)とも呼ばれています。

つまりお釈迦さまの呼び名としては、

1:本名 ガウタマ、ゴータマなど

2:敬称 釈尊、釈迦牟尼、世尊など

3:悟りを開いた人:ブッダ、仏、如来など

に分けることができます。

仏や如来は釈迦だけではない

悟りを開いた人、という意味の仏陀や如来はお釈迦さまだけを指す言葉ではありません。

特に大乗仏教以後、様々なブッダが登場します。

日本で有名なのは薬師如来、阿弥陀如来、大日如来あたりでしょうか。

その他に過去七仏という「お釈迦様がこの世に生まれる以前の仏たち」も存在します。

「この大宇宙は無数の世界に分かれていて、その一つ一つに仏がいるのだ」という世界観も作られます。これを十方浄土十方微塵世界などと呼びます。

お釈迦さまが生まれたのは2500年ほど前。ちょうどインド社会の発展期にあった

お釈迦様が生まれた時代は諸説ありますが、いまからだいたい2500年ほど前だと言われています。

つまり紀元前5世紀ごろ。もちろんこれはキリストやムハンマドが生まれる前の話になります。

この時代、インド社会の生産力が上がり人口が増えつつあった

当時のインドの社会はゆるやかな発展期にありました。つまり生産力があがって食べ物をたくさん作れるようになったのです。

食べ物がたくさんあれば、より多くの人間を養うことができ使える労働力も豊富になります。

~当時の農村~
「今はたくさん食べ物があるよ」

「ほんとだ。じゃあぼくは畑を耕さずにツボを焼くね!」

「まって! ツボはいっぱいあるからそれを町に売りに行こう」

「わかった。行ってくるね」

というふうに、まず手工業が発展し、そこでつくられた商品を売るために商業も活発になっていったのです。

人口が増えると社会の仕組みも複雑なものになってくる

さて、商品を売り買いするためには市場が必要であり、その市場が大きくなるとやがて都市に発展していきます。

都市というのは農村とは比べものにならないほど人間が密集している場所です。そうした大勢の人間の活動をさばくには、社会をきちんと取り仕切るルールと、それを守らせる役人がいなくてはいけません。

~近くの町~
「村からたくさん品物が入ってきたよ!」

「もう交換するものがないや。どうしよう」

「見て見て。これ、お金っていうの。これを品物の代わりに交換すればいいよ」

「大変! お金を使ったらますます忙しくなったよ!」

「じゃあ、お金を管理する役や品物を管理する役を作ればいいんだよ」

「ますます忙しくなるよ! 未来は明るいね!」

・・・・・・という風に、都市はますます忙しくなっていきます。

社会が発展すると自然とのかかわりが少なくなり、人間関係の悩みが増える

さて、こうして社会が複雑になっていくと、それに反比例して自然とのかかわりは少なくなっていくものです。

誰もが顔見知りの小さな村で、日照りや長雨を気にしながら農業をしていた社会とくらべ、考えることが増えていきます。

~100年後
「最近、洪水も山火事もおきないなあ」

「いや、俺らそもそも山にも川にも行かないだろ」

「たしかに」

「でもそうなると、恐いのは山や川の神様じゃなくて、人間なんだよなあ」

「そう、最近俺は考えるんだ・・・」

「えっ?」

「(ガタッ)他者とは何か? 己は何のために生きる? 人間とはなんだ!!?」

「(こいつヤベエ・・・)」

とまあ、要するに自然(神々)とのかかわりを中心とした生活から、人間個人の探求・生きる意味を考える時代に移り変わったわけです。

人間の考えることは案外、周囲の環境に左右されるということなのかもしれませんね。

自然神への畏怖が薄れ、個人の内面を探求する人々が現れる

このように都市ができることで自然への畏怖が薄れ個人の内面に目が向かう傾向は、同時代のギリシャでも同様でした。

人はそれまでの伝統に疑問を抱き、より抽象的・哲学的な思想をはじめたのです。

インドの場合、こうした新たな思想家たちは一般社会から離れ、森の奥で瞑想に明け暮れるという方法を取りました。

彼ら思想家たちの目標は真理の探求であったり神々が住む世界への転生であったりと、各々が目指す先はバラバラでした。

そもそも目的がバラバラですから、自然と多様な考え方が生まれてきます。このように、数多くの思想家が自分のつかんだ真理を説いて回っていたのが当時のインド社会だったのです。

こうした人々を「自由思想家」と呼びます。従来のバラモン教の教えに従わず、自由に人間や世界のあり方を考えた人々、という意味ですね。

お釈迦さまの時代にはいろんな思想家が登場した。その代表が「六師外道」

お釈迦さまが生きていたのは、まさにこのような時代だったのです。

その中でも代表的な思想家六人を、仏教の立場から六師外道と呼びます。

この場合の外道とは「仏教とは異なる道」という意味です。けっして六人がゲスだったわけではないですよ~

その代表が「ニガンタ・ナーガプッタ」(マハーヴィーラ)という思想家です。この方の教えはジャイナ教といいまして、現在でもインドで信仰されています。

ジャイナ教の開祖、ニガンタ・ナータプッタの像

このジャイナ教は仏教と同時代に生まれ、お互いに大きな影響を与えました。バラモン教が父だとすると、仏教とジャイナ教は兄弟のような関係だといえるでしょう。

ちょっと立ち止まって整理してみましょう

以上がお釈迦様の時代の社会状況です。仏教の歴史を学ぶ!バラモン教とアーリア人、カーストの時代もあわせて振り返ってみると、

・インド亜大陸にアーリア人が侵入。先住民と争いの末勝利する

・アーリア人が定住化。バラモンを頂点とするカースト制が定着する

・生産力・人口増大。各地に都市ができ、自然とのかかわりが薄れる

・バラモン教の権威に緩みができる。個人の内面を探求する自由思想家たちの登場

という流れであることがわかりました。

仏教の話をしているのにまだお釈迦さまが登場していませんね。

ですがここが肝心なところで、仏教もお釈迦さまも何もない所からポンと生まれたわけではなく、その背景となった思想や社会を見ていかなければ「なぜそんな発想になったのか?」理解できないのです。

お釈迦さまはそもそも実在したの?それを裏付けるのが「アショーカ王の碑文」

はい、その通り。実はお釈迦様は架空の人物ではないかと疑惑を持たれたこともありました。

それというのも従来、お釈迦さまの存在は「仏伝」という伝記に頼っていたのですが、これが実際の歴史としてはあまり信用できない代物だったためです。

花まつりで語られる定番の「誕生を祝って龍王が甘い雨を降らせた」「生まれてすぐに『天井天下唯我独尊』と言った」なんて現代人は信じられませんよねぇ・・・・・・。

仏伝は基本的に後に書かれるほど長くなる

お釈迦さまの生涯を記した伝記『仏伝』。

ふつうに考えれば「古い時代の方がお釈迦さまの記憶もよく残っているだろう」と思いますよね?

ところが実際は逆で「後の時代のものほど長く、詳細に語られる」のです。

・・・・・・まあ、昔の人が余計なことを付け加えたんだと思います。

「・・・・・・これがお釈迦さまの生涯じゃった」

「それで? 他に何かないの?」

「(え!? そんなん知らんし)そういえばお釈迦さまにはこんなこともあってのう・・・・・・」

みたいなことがあったのではないかと思います。

こうして仏伝はどんどんとお釈迦さまの存在を神格化する方向にむかいました。これでは史料としては信頼に欠けるのも当然ですね。

「釈迦の実在を裏付ける証拠」が発見される!!

そんな「お釈迦さまは架空の人物疑惑」に答えたのは、大英帝国の考古学者でした。

帝国が派遣した学者が、インド各地でアショーカ王の碑文を発見し、解読に成功したのです。

前回に続いてまた大英帝国ですね!アショーカ王とは初めて聞く名前ですが誰なんでしょう?

アショーカ王はお釈迦さまの死後100年~200年くらい後に活躍したインドの王様です。

この王様は戦争で多くの死者が出たことに悲しみを感じ、後に仏教を保護しインドに定着させたことで歴史に名を残しました。

アショーカ王はインド各地に自分の業績を彫り記した石碑を設置しました。そこにはお釈迦さまの存在を裏付ける言葉も彫られていたのです。

なにしろ石に彫ったものですから改変の心配はありません。正真正銘の本物です。

お釈迦さまからアショーカ王の時代まではたかだか100年から200年。これは、一から伝説上の人物を創造するにはあまりに短い時間です。

実際に存在しなくてはこんな詳細なエピソードは語れない、ということですね。

そんなわけで、現代の歴史学ではお釈迦さまの存在はほぼ間違いないと考えられています。

お釈迦様、里帰りの途中ルンピニーという土地で生まれる

さて、それではお釈迦様が生まれたところから順に説明していきましょう。

お釈迦様が生まれたのはネパールとインドの国境付近。かつてルンピニー(ルンビニ)と呼ばれていた土地です。

ルンピニーは長らく場所がわからなくなっていましたが、近代に入って再発見されました。今では世界中の仏教宗派が支院を建てる一大聖地となっています。

ちょうど出産の里帰りの途中だったお釈迦さまの母親マーヤー(摩耶夫人)は、この場所で産気づきお釈迦さまを産み落としました。

そして不幸なことにマーヤーは出産後7日で亡くなってしまいます。

マーヤーの死と初七日。そもそも輪廻ってなんだ?

実はこの7日間という日にちが、現在の日本でも重要とされる初七日の起源だったのではないかともいわれています。

ここで少し初七日の意味について説明しておきましょう。

まず古代インドには輪廻(サンサーラ)という考え方がありました。

あらゆる命は生まれ変わり、次の世界へ、また次の世界へと輪のように続いていくのだ・・・という思想です。

占星術と宿命の関係

この輪廻はインド占星術でも重要な概念となっています。輪廻と宿命の関係については、

人生と運命を占う!ゼロから学ぶインド占星術の歴史と宿命をご覧ください。

その生まれ変わる先は、生前の行動によって決定します。善い行いをしたものは天道へ、悪いことをしたものは地獄道や餓鬼道に堕ちる、というものです。

上から順に並べると、

「天道・人間道・阿修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道」

という順番になり、後に行くほど苦痛の多い世界となります。

これら全部をひっくるめて「六道(りくどう)」と呼び、魂(のようなもの)は生と死を繰り返しつつ六道を巡るという世界観なのです。

初七日はこの六道に関係しています。

亡くなった方は地獄道、餓鬼道・・・・・・と六つの世界を順番に一日ごとに見て回り、最後の一日に次の生まれ変わり先が決定する、という意味があるのです。

お釈迦様に投げかけられた予言。アシタ仙人の来訪と王様の思いつき

さて、お釈迦さまは生まれてまもなく母親を亡くしてしまいました。

母親がわりとしてお釈迦様を育てたのは、マーヤーの妹であるマハーパジャーパティーです。

幸いなことに義母との関係はとても良好だったようです。

予言をさずけた聖者、アシタ仙人

そんなある日のこと。お釈迦さまのお釈迦さまの暮らすカピラヴァストゥの王宮へ、一人の仙人がやってきます。

彼の名前はアシタ仙人。変な名前ですが大変有名な聖者だったそうです。そこで王様は生まれた息子を彼に占ってもらうことにしました。

するとアシタ仙人は、お釈迦さまの顔を見るなり静かに涙を流し始めこう言いました。

「この子の将来には二つの道がある。世界を統べる偉大な王になるか、あるいは悟りを開き完全な覚者となるかのどちらかだ。ただ、この子が悟りを開いたとして私はもうこの世にはいないだろう。その教えを聞くことができないのが悲しいのだ」

涙の意味がわかり王様は胸を撫でおろしました。が、今度は別の不安がやってきました。

なるほど、世界を統べる偉大な王になってくれれば最高だ。しかし出家して覚者になってしまえば・・・この王家の跡継ぎがいなくなってしまう。それでは困る・・・。

王様の思いついたアイディア

その時、王様の頭に良いアイディアが浮かびました。そのアイディアとは、

そもそも人は何のために出家するのか?

→俗世の生活に耐えがたいものを感じるからだ。

→耐えがたいものなどない生活を送らせれば?

→出家しようという動機がなくなる!!

というものでした。

つまりお釈迦様にストレスを与えないよう徹底して甘やかす教育方針をとったのです。

息子のほしがるものは何でも与え、美しいものや楽しいものしか目に入らないようにし、ちやほやと誉めそやして育てる。まさに純粋培養の箱入り息子といったところでしょう。

こんな教育でどんな人間に育つのか? お釈迦さまは大王の道へ進むのか?

・・・どう考えても失敗の匂いしかしませんね!!

今回のまとめ

いかがだったでしょうか? 今回の話をまとめると、

お釈迦さまの本名はガウタマ・シッダールタ。釈迦如来や世尊とも呼ばれている。

・生まれたのは今からだいたい2500年くらい前。その当時インドはゆるやかな発展期にあった。

・社会が複雑化する中で自分の内面に目を向ける思想家が現れだした。お釈迦様もまたその一人。

・お釈迦さまの実在は「アショーカ王碑文」によって証明された。生誕地はルンピニー。

・生まれてすぐ母親が亡くなってしまう。アシタ仙人の予言により甘やかされて育つことになる。

ということになります。

さて、生まれたばかりのこの赤ん坊はこの後どんな人生をたどるのか?

後のブッダはいかにして悟りの道へ進むのか?

次回の仏教の開祖☆お釈迦さまが出家した理由では「四門出遊」という説話を切り口にお釈迦さまの出家の理由に迫っていきます。

ってことでこの話はおしまいっ!!

ではでは~

「仏教と心」の目次へ







シェアするならこちらから