やあ、天狗堂です。

お寺の仏像ってよくこんな格好をしていますよね。

たぶんほとんどの方が見たことのあるこの姿ですが、いったい何を表している様子なのでしょうか?
この姿は「お釈迦様が悟りを得てブッダ(如来)になったこと」を象徴しています。

というわけで今回は「お釈迦様が悟りを開いた一夜」を切り口に、ブッダになるとはどういうことか、悟りの智慧とは何なのかを見ていきましょう。
■目次
お釈迦様のこれまで
まずはこれまでのお釈迦さまの経緯をおさらいしておきましょう。
古代インドのシャカ族の王子として生まれたお釈迦さまは、何一つ不自由のない少年時代を送ります。
ですがある日彼はとつぜん外の世界を知り、そこで目にした老い・病・死に動揺し、修行者の生き方にあこがれを抱くことになります。
その後、王位を投げ出して出家したお釈迦さまは、高名な先生のもとに弟子入りし瞑想を習います。
しかし「思考や感情を停止させる瞑想のみでは一時的に苦しみから離れたにすぎない」と見極め、先生のもとを離れることになります。
苦行とは肉体を痛めつけることで欲望を滅しようとする方法です。古代インドの賢人たちは「生きる苦しみはすべて快楽や物質への執着が原因である」と考えていました。
だからこそあらゆる贅沢、社会的立場、身体に心地よいもの、これらを捨て去ることで執着を断ち切り生きる苦しみから逃れることができる・・・と考えたわけです。
ところがお釈迦さまはある時苦行の限界を感じ、これまでの修行を全て放棄することになります。
「苦行では欲望を完全に滅することはできない。・・・しかし、そもそも欲望とは何なのだ?」
こう考えたお釈迦さまは「欲望を滅する」のではなく「欲望の仕組みを解き明かす」方向に向かうことになります。
成道とは修行の完成=悟りの智慧をもって迷いから抜け出すこと
以上がお釈迦様の歩んできた道のりです。この後、彼は自らが考案した新しい瞑想法「内観」で心の内側を詳しく調べることにより成道を成し遂げます。
成道とは「修行が完成すること」を指します。同じような意味で「悟り」「解脱」「涅槃」という言葉も使われますが、これらは少しづつ意味が違っていて、
1:修行が完成する(成道)
2:修行の完成によって智慧が備わる(悟りの智慧)
3:悟りの智慧によって輪廻から抜け出す(解脱)
4:輪廻から解脱した絶対的な平穏の境地(涅槃)
という順番になっています。実際にはどれも同じ意味で使われますが。
こうして成道し、涅槃に至った者を覚者、あるいはブッダ(仏陀)と呼びます。仏さまとはこうした存在を指す言葉ですな。
お釈迦様、菩提樹の下で悟りを得る

それではお釈迦さまの物語に戻りましょう。
苦行を打ち切ったお釈迦さまは自らの確信を試そうと、ブッダガヤという地にあった一本の樹の下で瞑想を行います。

ブッダガヤ・菩提樹の子孫。ピッパラ樹・アシュヴァッタ樹とも呼ばれる
この菩提樹の下でお釈迦さまは、自らの心のすみずみを探求しつくそうとします。
「心の内から欲望はどのように発生するのか・・・?」
「それがどのように人間の意識に浮かぶのか・・・?」
「人間はなぜ欲望の囚われになってしまうのか・・・?」
こうした仕組みを理解しつくせば、欲望から離れ、そして欲望から生まれる苦悩を断ち切ることができるのではないか?
お釈迦さまはこのように考えたわけです。
その結果、彼はついに悟りをひらき目覚めた人=ブッダとなります。
カピラヴァストゥの王城を出て6年後。12月8日の明星が天に輝く時間だったと言われています。
仏教のハイライトたるこの場面は様々な伝説で彩られていますが、その一つに「悪魔がさとりを開くのを妨害しようと現れた」というものがあります。

悪魔の名前は魔王マーラ・パーピーヤス。天魔波旬、魔羅、天魔とも呼ばれています。
このマーラは絶対的な悪というよりは、さとりを妨げる煩悩を象徴化したものです。
煩悩の化身たるマーラにとって、お釈迦さまがさとりを開くことは自分の破滅につながる。だから瞑想を邪魔しようとやってきたわけです。
マーラは最初美しい女で誘惑しようと目論み、次に恐ろしい怪物を送り込んで襲わせようとします。しかしお釈迦さまはいずれにも動じることはありませんでした。
ついに魔王自身が巨大な円盤状の武器(チャクラム)を振りかざして襲いかかりますが、円盤はたちまち花の輪になったと伝えられています。
この時、お釈迦さまが片手を地面につけたところ、現れた地の神が加勢して悪魔を退けたと言われています。その姿を降魔印と呼び、現在でも仏像に名残りをとどめています。
成道の一夜に何が起こったのか?4つのキーワードで説明
この成道の夜、お釈迦さまの精神に何が起きていたのか?伝統的にはこれを四つの場面に分けて説明しています。

この世を見通す力、天眼通
まずお釈迦さまは、この世の営みの一切を見通すことのできる神通力(天眼通)を得たと言われています。
とはいえ神通力なんて言われても現代人にはピンとこないかもしれませんね。思うにこれを現代的に言い換えるなら「今現在の物事のあり方や関係性」について考察が完了したということになるでしょうか。
お釈迦さまの悟りは超常的な現象ではなく、突き詰めれば誰でもそこに至るものだったことは重要です。
過去をさかのぼる力、宿命智
宿命智はすべての人々や世界の過去の有様(無限の前世も含む)を知ることのできる神通力だと言われています。けれど少しイメージのしにくい話ですよね?
経典では釈尊自身の言葉として、
「1つ、2つ…10…100…1000…10000の過去生を想起できる」
「それも、幾多の宇宙の生成(成刧)、壊滅(壊刧)を通して想起できる」
「それも、具体的・詳細な映像・内容と共に想起できる」
・・・と語ったとされています。
これも神通力うんぬんをのぞいて現代的に考えるなら「過去から繋がる因縁をありありとイメージし、それが現在にどうつながるのか完全に理解した」ということになるのでしょうか。
この世をつかさどる法則、縁起

つぎにお釈迦さまはこの「縁起」の法則を理解します。
縁起とは、
・すべての現象や存在は、原因や条件が相互に関係しあって成立する
・つまりそれ自体が単独で存在するものではない
・よって原因や条件が変化すれば現象もなくなる
ということを指します。

これを仏教の世界観にそって分類したのが「十二縁起」です。これについては別の場所で詳しく説明しますが、内容を簡単にまとめると…
- 無明(むみょう)過去世の無始の煩悩。煩悩の根本が無明なので代表名とした。明るくないこと。迷いの中にいること。
- 行(ぎょう)志向作用。物事がそのようになる力=業
- 識(しき)識別作用=好き嫌い、選別、差別の元
- 名色(みょうしき)物質現象(肉体)と精神現象(心)。実際の形と、その名前
- 六処(ろくしょ)六つの感覚器官。眼耳鼻舌身意
- 触(そく)六つの感覚器官に、それぞれの感受対象が触れること。外界との接触。
- 受(じゅ)感受作用。六処、触による感受。
- 愛(あい)渇愛。
- 取(しゅ)執着。アタッチメント。
- 有(う)存在。生存。
- 生(しょう)生まれること。
- 老死(ろうし)老いと死。
…となります。

十二因縁を示した仏画。円の内側に六道が描かれ、周縁に十二因縁が図解されている。
さとりに至るための道筋、無苦集滅道
さらにお釈迦さまは「無苦集滅道」を悟ります。無苦集滅道とは苦の発生するこの世の仕組み、そして苦を断ち切るための方策のことです。

これを理論と実践に分けたものが「四諦」と「八正道」になります。四諦と八正道は仏教の根本をあらわすとても重要な世界観ですので、別の機会にくわしく説明します。
このまま消滅しようと思ったお釈迦様
さて、こうしてお釈迦さまは数々の智慧を身に着け、自分が今まで拘っていたあらゆる苦しみから解放されたことを自覚しました。
その後しばらくは平穏な境地を味わっていたらしいのですが、やがてこう決意しました。
「よし、わたしのやれることは全て終わった。このままここで消滅しよう!」
なんと第一手に消滅を選んだのです。これではその後の仏教がはじまりません。
お釈迦さまはいったい何を考えていたのか?その後なにがあったのか?次回はそれをご紹介したいと思います。

ってことでこの話は終わりっ!!
次回はお釈迦さまと梵天勧請です。あわせてお読みください。ではでは~!!