お釈迦さまと梵天勧請




やあ、天狗堂です。

前回のお釈迦さまが成道した夜、何を悟ったのか?では、お釈迦さまが成道(悟りを開くこと)した一夜のできごとを見ていきました。

今回はその続き!!涅槃に入りブッダとなったお釈迦さまが、その後どういう経緯から説法の旅に出かけるようになったのか紹介します。

成道したお釈迦さまはしばし涅槃の境地を味わう

さて、成道後のお釈迦さまはしばらくその場(金剛宝座)に座って涅槃の境地を味わっていました。

もはや心のうちに苦しみはありません。かつて恐れていた生老病死の苦はすべて解消していたのです。

成すべきことを成したお釈迦さまは、一説によれば49日もの間そこに座っていたと言われています。

仏陀となりし釈尊、このまま消滅してしまおうと考える

49日もの間生身の人間(お釈迦さまは悟りを開いたといっても肉体は人間のままなのです!!)が座っていられるのか?そこは少し怪しいところですが、とにかくお釈迦さまはこの場から動くつもりはありませんでした。

というのも、悟りを開いたんだからやるべきことは全て終わった。

つまりお釈迦さまはこのまま世を去ろうと考えていたわけです。

って、このままじゃ仏教がはじまりません。いったいどうなってしまうのか?

梵天、空から現れ教えを説くことを要請する

その時、天界から駆け付けたのが梵天です。もともとはバラモン教の偉い神様である梵天がなぜお釈迦さまのもとへやってきたのか? 梵天は言います。

「お釈迦さま。あなたは解脱しブッダとなられた。ぜひあなたの得た智慧を広く人々に教えていただきたい」

そう、仏教の世界観では天界に住む神々もまた悩み苦しむ存在であり、苦しみから離れる智慧を教わりたいと懇願したのです。

梵天から請われたお釈迦さまは、しかし当初難色を示す

神々からの懇願という感動のシーン。しかし釈尊は浮かぬ顔で、

「う~ん、そう言われてもなぁ…」

と渋い顔なのでした。

なぜお釈迦さまは難色を示したのか? 梵天の懇願は聞き入れられるのか?

そもそも釈尊の目的は「自分の苦しみを解消する」ことだった

ではここで一反戻って「そもそもお釈迦さまはなぜ悟りを開こうと修行したのか?」を思い出してみましょう。

お釈迦さまが出家した理由、それは「どんな幸福も永遠に続かないことに絶望した」からです。つまり超個人的な理由で修行者となったわけです。

ですから、目標である苦しみの最終的な解決がなされた後は特に考えてはいなかった、ということになります。

そんな釈尊にしてみれば「自分の悟りを人に伝える」というのは想定外の出来事だったわけです。

お釈迦さま、頼まれてしぶしぶ教えを説くことを決心する

お釈迦さまが教えを説くことを拒んだ理由は他にもあります。

「自分が達したこの境地…そもそも他人に教えて伝わるものだろうか?」

…という疑念でした。

自分が掴んだ悟りはあまりに常識からかけ離れている。これを人に説いたところで正しく伝わるのか?と考えたのです。

二人の先生なら自分の境地を理解できる・・・かも?

しかし梵天はなおもしつこく食い下がります。そこでお釈迦さまは「自分の境地を理解してくれそうな人間」を思い浮かべました。

「自分が出会った中でもっとも深い境地に近づいた人…となるとあの方々しかいない」

彼が思い浮かべたのはかつて教えを乞うた二人の仙人(宗教家)、アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタの両師でした。

両師は釈尊がこれまで出会った中でもっとも高い境地にあったからです。

「彼らならば…自分の悟りを理解してくれるかもしれない」

ところがその直後、お釈迦さまは知ることとなります。両師は彼が悟りを開く直前に亡くなっていたことを。

釈尊は「両師なら教えを聞けば速やかに悟れただろうに」と嘆息したといいます。

先生は亡くなっていた。ならば他に心当たりは?

では次に教えを説くべきは誰であろうか?とお釈迦さまは考えました。

こうした思想になじみがあり自分の直接の知り合い、となるとやはり苦行をともにした5人の修行者たちであろう、と考えます。

もともと彼らはお釈迦さまが苦行を始めたころ、父親であるシュッドーダナ王がお目付け役として派遣した苦行者でした。

ところが釈尊と苦行生活を送るうちしだいに役目のことも忘れ、突然修行を打ち切ったお釈迦様を厳しく非難した人々でもありました。

しかし、彼ら以外に教えを理解できそうな知り合いはいません。ものは試しだ、とお釈迦さまは考えます。

お釈迦さま、「鹿野園」にて五人の修行者と出会う

そこで彼らの修行する地「鹿野園(ろくやおん)」へ足を向けたお釈迦さまでしたが、やってきた彼をかつての仲間たちは冷たい目で迎えました。

彼らからしてみれば釈尊は「突然苦行を諦め、堕落した男」にしか見えなかったのです。

ところがお釈迦さまが近づくと「来ても無視しよう。シカトだ」と申し合わせていたことも忘れ、慌てて足を洗う水や器、布を用意することになってしまいました。

おそらく悟りを得てブッダとなった釈尊の立ち居振る舞いに心を打たれたのでしょう。

五人の修行者はそれぞれ疑念を述べる

お釈迦さまは座につくとこれまでの経緯と自分はすでに成道したこと、したがって自分の導き出した方法を採ればいずれ悟ることができると述べました。

しかし五人の修行者たちは、

「君は悟りを得る前に苦行を捨てたではないか。しかも村娘から乳粥をもらって食べたと聞いている。我々は君が堕落してしまったと考えていた。なのにどうして悟りを開いたというのか?」

と問い訊ねます。

お釈迦さまはそれに動じることなく「自分は目標を放棄したわけでも、堕落してしまったわけでもない」と説きました。

そして五人の修行者たちの質問に三度答えたところで、彼らもようやく「この男の身に何かが起こったのだ」と理解します。

お釈迦さまの最初の説法がはじまる(初転法輪)

いつしか修行者たちは疑いの心を離れ、お釈迦さまの言葉に静かに耳を傾けていました。

釈尊は穏やかに、自分が掴んだ真理を説明します。

この時こそまさしく、お釈迦さまの悟りが人々に語られた最初の瞬間。仏教のはじまりです。

この最初の説法は、回転する車輪に例えて「初転法輪」と呼ばれています。

・・・ということでこの話はお終いっ!!

ではでは~







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