仏教のはじまりの瞬間!!お釈迦さまと初転法輪




やあ、天狗堂です。

前回のお釈迦さまと梵天勧請では、悟りを開いた直後そのまま入滅するつもりだったお釈迦様が、自分の得た境地を他人に伝道しようと決心するまでを紹介しました。

まず釈尊は「昔師事した先生方なら理解してくれるだろう・・・」と考えますが、当の先生はすでに亡くなった後でした。

そこで釈尊は自分の考えを理解できそうな人間として、かつて一緒に苦行を行っていた五人の修行者の元へやってきます。

今回はその続きです。

仏陀がその教えを説いたこの最初の説法を「初転法輪」といい、仏教誕生の瞬間として知られています。

それでは行ってみましょう!!

お釈迦さま、五人の修行者に四つの教えを説く

さて、釈尊が最初の説法(初転法輪)で説いた内容はおおきく四つに分類できます。

その四つとは中道・八正道・四諦・解脱です。

この順番で説かれた理由もちゃんとあります。ではまず四つの教えそれぞれを簡単に見ていきましょう。

(それぞれの教えの詳細はまた別の機会に見ていきます)

中道

まずお釈迦さまは「自分が悟ったのは享楽主義と苦行主義の二つから離れた道である」と説きました。

これが中道の道です。

その要点は、

・両極端な態度を取らず

・偏らず囚われず

・何事にも執着しない姿勢

・とらわれないものの見方、考え方

を実践しようとする思想です。

その背景となるのが仏教の理論である「縁起」「無我(空)」であり、この理論を実践に移すと中道となるわけです。

縁起と無我って言葉が出てきましたね。この説明はとても長いものになってしまうので、別の記事にわけて紹介したいと思います!!

八正道

八正道とは悟りを開くための具体的な八つの方法を指します。これがいわば中道の実践方法です。

八正道とは、

・正見(正しく物事を見る)

・正思惟(正しく考える)

・正語(正しい言葉を語る)

・正業(正しい行いをする)

・正命(正しい生活を送る)

・正精進(正しく努力する)

・正念(正しく反省と決意をする)

・正定(正しい方法で瞑想すること)

という八つの方法から成り立っています。

こうした八正道にもとづいた修行を行うことこそ中道であり、その延長線上に輪廻からの解脱があるんだよ・・・ということをお釈迦さまは説いたわけです。

四諦(したい)

初転法輪では八正道の次に四諦が説かれました。四諦とは仏教においてかならず知るべき4つの真理のことを指します。

この最後に当たる部分が八正道になります。これら四諦と八正道をまとめて「無苦集滅道」と呼ぶこともあります。

苦諦(くたい)

四諦の最初、苦諦とは「この世は苦である」という真理です。

そもそも仏教では「私たちは間違って物事を見ているから苦しみが生じる」と考えます。

もちろん人生には苦楽の両方がつきものですが、一時の楽しみはいつか終わりを迎えるもの。

だからこそ「この世のすべては苦である」と理解することで正しい道を求める心が生まれてくるのです。

集諦(じったい)

次に着目すべきは「なぜ苦しみが生まれるのか?」という謎です。

苦しみはすべてこの世が「無常」であるにもかかわらず、私たちがそれに執着することにより発生します。

実体のないものを求めるのは、砂漠で蜃気楼を追いかけるようなもの。それを認識しないことには何が問題かさえわかりません。

このように、苦しみの原因は執着(煩悩)であるとする真理が集諦です。

滅諦(めったい)

集諦では苦しみの原因は執着(煩悩)にあることを見ていきました。

滅諦とはこの苦しみの原因を離れることができれば、苦を完全に滅することができるとする真理です。

これを達成した人が「仏陀」「如来」と呼ばれる存在です。

道諦(どうたい)

では苦を滅する境地(滅諦)に至るためにはどうしたらいいのでしょうか?

そこへ導くのが正しい修行法(八正道)だとするのが道諦です。

この八正道を実践することで人は悟りをひらく(阿羅漢)ことができるのです。

解脱

中道、八正道、四諦の教えを語り終え、お釈迦さまは言います。

「私は悟りをひらき輪廻の輪から抜け出した。これが私の最後の生涯である。したがって二度とこの世に生をうけることはない」

つまり完全に悟りをひらいてしまえば、もはや六道を延々と生まれ変わることはなくなると説いたのです。

仏教の最終目標はここにあります。どんな幸福も輪廻の内にいる限りいつかは終わりを迎えるもので、むしろ輪廻の輪から抜け出す(解脱)ことが目標となるわけです。

仏教の土台となったもの

このようにお釈迦様の悟りの背景には、当時のインド社会で一般的だった「輪廻を中心とした世界観」がありました。仏教の用語も当時のバラモン教やインド哲学から拝借したものが多く見られます。

歴史的に考えると、もともとお釈迦さまは一国の王子でした。そのため出家の以前からバラモン教の世界観や思想は教養として身に着けていたものと考えられます。

こうしたバラモン教的な教養をベースとして、それを超越する見解を打ち出したことがお釈迦様の独自性だったと言えるでしょう。

修行者の一人に法眼が生じる

さて、お釈迦さまは中道、八正道、四諦、そして解脱を五人の修行者に語り終えました。

再会時にはお釈迦さまを軽蔑していた五人の修行者たちは、この最初の説法を信じ受け入れます。

そして修行者の一人、コンダンニャに法眼が生じます。

法眼とは四諦や縁起などの教えに対する正しく理論的な理解です。(ただし盲目的に信じることではないことに注意!)

お釈迦さまはこれを大変喜び「コンダンニャは悟った(アンニャー・コンダンニャ)」と言ったそうです。

釈尊は喜び他の修行者も続く

その後もお釈迦さまから五人の修行者への説法が続きました。

一説によれば彼らは三人づつ順番に托鉢(一般家庭で食べ物を恵んでもらうこと)を行い、それを六人で分け合って食べるという合宿形式で説法を続けたそうです。この流れが現代まで続く仏教教団のありかたを形成したと言えるでしょう。

その後、ワッパ、マハーナーマン、アッサジ、バッディヤの四人にも法眼が生まれ、釈尊はさらなる教えとして「無我相」の教えを説きました。

無我相とは「五蘊(ごうん)に実体はない」とするもの…と言ってもわかりにくいですよね。

要するに、色(色かたちあるもの、身体)、受(感受作用)、想(表象作用)、行(形成作用)、識(識別作用)の五つの要素に実体はない、とするものです。

ようするに「この娑婆世界で見るもの、感じるものに本当の実体はないんだよ」ってことかと思います。

こうした教えを理解していくうちに、五人の修行者たちは「阿羅漢果」と呼ばれる最高の境地に達したと記されています。

釈尊は弟子らの理解に満足し「この世に六人の阿羅漢がいる。その一人が自分である」と述べています。

こうして釈迦と五人の阿羅漢により原初の仏教教団が誕生したのです。

初転法輪で議題となったのは・・・

さて、それでは初転法輪をおさらいして「なぜ釈尊はこうした順番で語っていったのか?」を見ていきましょう。

まず五人の修行者たちは、

「君(釈尊)は苦行を熱心に行っていたじゃないか。それなのになぜ悟ることができなかったんだ?」

ということを疑問に思いました。自分たちといっしょに毎日苦行にはげんでいた。それなのにある日突然諦めてどこかへ行ってしまった・・・仲間たちの目にはそのように映っていたわけです。

これに対し釈尊は、

「自分が発見したのは、享楽的な生活も、過剰な苦行も解脱に到達する道ではないという真理である(苦楽の二辺)」

と説きました。

自分は苦行に疑問を抱き新たな道を模索した。その結果として苦しみの最終的な解決策を発見した。

そのため修行者は極端な道を選ぶべきではなく、自分が行ったように中道的な修行を行うべきだと説いたのです。

そして修行方法のみならず、

・魂が永遠に輪廻し続けるという「常見」の思想

・魂などなく人生は一回こっきりという「断見」の思想

このどちらもが誤りであるとしました。

どのみち輪廻し続けるから何もしない、どのみち一回こっきりだから何もしない。このどちらでもないんだよとお釈迦さまは説いたわけですな。

中道から八正道、そして四諦へ

こうした理由から最初に中道が説かれました。その次に議題となったのは、

「なるほど、君の言う中道とやらを受け入れよう。しかし中道的な修行法とはいったい何なんだ?」

というものでした。

そこで答えた具体的な方法こそが八正道です。

上で見た通り、八正道は基本的理念ともいえる抽象的な項目ばかりです。

いわば仏教を学ぶものに「極端でない道とはこのようなものだよ」と示唆する目標だといえるでしょう。

四諦こそ仏教の大綱であり、解脱に至る道

こうして釈尊は質問に合わせる形で中道・八正道を語っていきました。

そして次に「こうした発想はどういう背景から生まれてきたのか」が語られます。

これが仏教の大要ともいえる四諦です。

つまり初転法輪では、

・まず修行論として中道を語り

・その具体例として八正道が

・次に仏教の大枠を示すものとして四諦が説かれ

・その結果として解脱に行きついた

という流れになっています。

さて、こうして最初の仏教教団が発足しました。お釈迦さまと弟子たちはこれから後、インド各地を伝道し信徒を増やしていくことになります。

ってことで、今回のお話はここまで!!次回はお釈迦様が仏教を広めていく過程と、そこに集まる様々な人々について紹介していきます。

ではでは~(´▽`*)







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