仏教教団の拡大と伝道~釈尊の十大弟子




やあ、天狗堂です。

前回の仏教のはじまりの瞬間!!お釈迦さまと初転法輪では、お釈迦さまの最初の説法(初転法輪)とそこで語られた中道・八正道・四諦・解脱について見ていきました。

今回はその続きです(*´▽`*)!!

お釈迦さまはインド各地へ伝道の旅にでかけ、仏教教団は急速に拡大していきます。

釈尊の後半生にあたるこの時期には多くの逸話があり、弟子や協力者も数多く集まります。

ここではその中でも特筆すべき関係者を切り口に、お釈迦さまの足取りを追うことにしましょう。

成道後の釈尊、およそ45年に渡って北インド各地を放浪

さて、釈尊と阿羅漢となった五比丘たちは「仏教」という新しい教えを広めるためインド各地に伝道をはじめました。

この時、釈尊35歳。そして80歳で入滅するまでの間の45年間、精力的に説法を続けます。

お釈迦さまは当時支配的だったカースト制にとらわれることなく、教えを請うものであれば誰でも受け入れたため、教団は様々な階級出身者で急速に拡大していきます。

有名な初期の弟子たち

まずは教団初期の重要な関係者をご紹介します。

ここに登場するのは立場も身分も様々な面々で、中にはお釈迦さまの敵対者として立ちはだかる者もいました。

ですが釈尊はその都度人々を教化。ブッダの教えに触れた人々はお釈迦さまの協力者や弟子となって仏教を盛り立てていくようになります。

六人目の弟子 ヤシャス

ヤシャス(耶舎)は五比丘に続いて六番目の仏弟子になった人です。

ベナレスという町のお金持ちの家に生まれたヤシャスは、それまで四つの邸宅を持つ裕福な生活を送っていました。

容姿端麗で文武に優れたヤシャスは何ひとつ困ることのない生活を送っていましたが、ある日道端で死体を見かけた際にこの世の無常を観じお釈迦さまの弟子となりました。

のちに彼の両親は最初の優婆塞・優婆夷(在家の信徒)となり、ヤシャスの親友4人、そのまた親友50人も仏弟子となったと言われています。

最古参の十大弟子 プンナ

プンナ(富楼那)は初期の弟子であり、のちにお釈迦さまの十大弟子のひとりと呼ばれるようになります。

お釈迦さまとは生年月日が同じで、そのころすでにバラモン教の教学に精通していました。ヒマラヤで苦行していた彼のもとにはある程度の弟子もいましたが、ブッダが法を説いていると聞きつけ釈尊のもとに参じそのまま仏弟子となりました。

のちにはシャーリプトラやアーナンダも彼のことを慕うなど、初期教団の年長者として重要な役割を果たします。

伝説に彩られた対決 アグニの行者 三迦葉

三迦葉はウルヴェーラ・カッサパ、ナディー・カッサパ、ガヤー・カッサパの三人兄弟です。

もともと彼らは火神アグニを信仰する行者(事火外道)でした。

釈尊がヤシャス、プンナ等を教化したのち、尼連禅河(釈尊が悟りを開く前に沐浴した河)の左岸にあった村を訪れた時、500人もの信徒を持つ長男ウルヴェーラと出会います。

この地で泊まる場所を探していたお釈迦さまは、ウルヴェーラの所有する祠に泊まらせてほしいと願いました。

ウルヴェーラは「この祠には恐ろしい竜が住み着いている。自分以外の人間はたちまち食われてしまうだろう」とこれを断ります。

ところが釈尊は「私なら大丈夫」と頼むので、ウルヴェーラは「ならばこの男を試してやろう」と彼を招き入れます。

お釈迦さまが祠で休んでいるとほどなくして竜が現れ釈尊に襲いかかりましたが、釈尊はたちまち竜の魔力を封じてしまいました。

翌朝様子を見に来たウルヴェーラが見たものは、静かに瞑想する釈尊と鉢の中でおとなしくしている竜の姿でした。

それに感心するウルヴェーラでしたが、それでもまだ自分の方が力量は上だろうと釈尊に対決を挑みます。しかしブッダの威光の前に彼の神通力もかなわず、結果として弟子を集め、みなの意志を確かめ共に仏弟子となったといいます。

その後ナディー、ガヤーら弟たちも、兄が仏門に入ったと知るや駆けつけ、自分の弟子とともに仏弟子となります。

これによりお釈迦さまの教団は急速にその規模を拡大します。そして三迦葉が敬服した釈尊の名声は近隣諸国に大いに知れ渡ることになります。

教団を支えたパトロン、ビンビサーラ

マガタ国の王ビンビサーラは仏教教団の初期に仏教に帰依した在家信者です。

彼は王位につくや国内改革に邁進し、アンガ国、カーシー国を版図に収めるなどして東インドに強力な勢力を形成しました。

お釈迦さまが出家した当初、修行者となることをやめてカピラヴァストゥの王城に戻るよう説得したのもこの人物です。当時シャカ族の王国はコーサラ国という大国に支配されていたため、ビンビサーラは戦像を提供してシャカ族を支援しようと申し出ましたが、お釈迦さまはこの申し出を拒絶しています。

その後、ビンビサーラは成道しブッダとなった釈尊に帰依し、竹林精舎と呼ばれる仏教最初の寺院を寄進しました。一国の王という後ろ盾を得て、釈尊の教団は安定した活動を続けられるようになります。

お釈迦さまの十大弟子

このように初期の仏教教団は釈尊の存命中に大きく規模を拡大しています。これによって教団には多くの優れた弟子が加入していきますが、中でも代表的な人物は「十大弟子」と呼ばれています。

十大弟子にはそれぞれ得意とするジャンルがあり、全員「○○第一」という呼び名を持っています。例えばシャーリプトラは悟りの智慧にだれより精通していたため「智慧第一」と呼ばれています。

現在、十大弟子として知られる面々は『維摩経』という経典の記述に基づいています。

この内から数人を取り出して○○弟子と呼ぶ(シャーリプトラとマハーモッガラーナを指して「二大弟子」など)ことはありますが、この10人はほとんど確定して誰かと入れ替わることはないようです。

それではこの10人を詳しく見ていきましょう!

『般若心経』のシャーリプトラ

シャーリプトラ(舎利弗・舎利子:しゃりしとも)は釈尊の存命中、多くの弟子らの筆頭格であった人物です。十大弟子の中では「智慧第一」と呼ばれています。

マガタ国のナーランダー村のバラモン階級出身であった彼は、釈尊の弟子アッサジに出会い、彼を通じで仏教の教法に触れました。

聡明であったシャーリプトラはそのとたんに悟りの最初の段階に足を踏み入れたと言われています。

仏陀の教えに確信を抱いたシャーリプトラは親友のマハーモッガラーナを連れて釈尊のもとに弟子入りし、すぐに最高の悟り(阿羅漢果)を得ることになります。

釈尊は彼を深く信任し、自分に代わって説法を任せることもありました。

のちにはお釈迦さまの実子ラーフラの師僧ともなり、目連とともに仏教教団の後継者として目されるようになります。

しかしながら晩年、彼は重い病にかかり釈尊に別れを告げて帰郷。母に看取られながら病没したといわれています。

お盆の元祖 モッガラーナ

モッガラーナ(目犍連・略して目連:もくれん)はシャーリプトラの親友であり、ともに教団の指導的地位にありました。「神通第一」と呼ばれ不思議な力を操るのに巧みだったと言われています。

アッサジの話を聞いたシャーリプトラの知らせで仏の誕生を知り、釈迦の元へ参じ仏弟子となりました。以後研鑽を積み阿羅漢果を得たのちは長老と呼ばれる立場になります。

モッガラーナは神通第一の名の通り、不思議な力を使い鬼神や竜を調伏し、異端者や他教の妨害を追い返すことが多かったため多くの人の恨みを買うことになったと言われています。

特に同じころ急成長していたジャイナ教や、後に登場する仏教最大の悪役「提婆達多」の教団の狂信徒から迫害されることもあったと伝えられています。

また目連は『盂蘭盆経』というお経の中にも登場し、東アジアに伝わる御盆の風習の元祖ともなっています。

禅の高祖 マハーカッサパ

マハーカッサパ(大迦葉:だいかしょう)は頭陀第一と呼ばれ、衣食住にとらわれず清貧で厳密な修行をしたことで知られています。

釈尊の滅後は教団の後継者的立ち場となり、のちにお釈迦さまの言葉を確認する「第一結集」の座長をつとめました。

釈迦入滅後の仏教の流れを左右した重要な弟子の一人です。

伝説によればお釈迦さまの最期の時、在家信者が遺体に火をつけようとするもなかなか薪に火がつかなかったそうです。

そうした中、やっとマハーカッサパが仲間の500人とともに到着しました。

そして、マハーカッサパがお釈迦さまを拝するや、不思議な事に今までつかなかった火がパッと燃え上がったと言われています。

「空」を知るもの スブーティ

スブーティ(須菩提:すぼだい)は解空第一、あるいは無諍第一で知られる十大弟子です。

大乗仏教では仏弟子の中でもっとも「空」の思想に精通していたと言われています。

また、スブーティは子どものころ粗暴な性格でしたが、仏弟子になってからは円満を心がけ、他教の信者からの迫害にあっても決して心を荒らげることがなかったと言われています。

そんな彼の気風を多くの人が慕い、多くの供養(捧げもの)が集まったので被供養第一とも呼ばれています。

最古参の弟子 プンナ

ごく初期の段階で仏弟子となったプンナ(富楼那:ふるな)は説法第一と呼ばれています。

もともと彼はお釈迦さまの故郷、カピラヴァストゥの国師とされるバラモンの家柄でした。そのため幼いころより教育を受け、弁舌が非常に巧みでした。

阿羅漢となったのちは釈尊の教えを各地に伝道してまわり、一説には9万9000人もの人を教化したと言われています。

論議の達人 マハーカッチャーナ

マハーカッチャーナ(迦旃延:かせんねん)はプンナと同じく仏教の伝道に功績のあった弟子です。

一説によれば彼は南インドのバラモンの家に生まれ、後にアシタ仙人の弟子となります。

アシタ仙人は釈尊の誕生時、この子は将来ブッダになると予言した人物であり、マハーカッチャーナは師の遺言によって仏弟子になったと言われています。

初期の関係者には珍しく出身地が遠く離れた場所だったため、いまだ布教の圏外だったそれらの地へ仏教を伝道して周ったと伝えられています。

すべてを見通す アヌルッダ

アヌルッダ(阿那律:あなりつ)は天眼第一とされた十大弟子の一人です。

アヌルッダは釈迦族の王族出身だったと言われ、釈尊が故郷に帰還した際仏弟子となります。

彼は釈尊の説法時に居眠りをしてしまい、それを悔いて不眠不臥の誓いを立てます。お釈迦さまもアヌルッダの体調を心配しますが、彼は失明するまで誓いを守り通しました。

このことにより彼は天眼(肉眼では見えない事でも自在に見とおせる、神通力(じんずうりき)のある目。千里眼)を得たと言われています。

戒律の祖 ウパーリ

ウパーリ(優波離:うぱり)は持律第一とされ、仏弟子の中でももっとも戒律に精通した人物でした。

彼はカースト制の中でも低い地位のシュードラ出身で、シャカ族の王族らの理髪師や執事をしていたと言われています。

釈尊が帰国時に諸々の王子を差し置いてウパーリが仏弟子となったため、一時でも早く兄弟子となった者に挨拶するという決まりを守りアヌルッダら諸王子は彼の前で礼拝しました。

釈尊はこれに喜び、王族らに「よくシャカ族の高慢な心を打ち破った」と称賛したそうです。

以後、戒律をよく知り守るウパーリは、第一結集の際にお釈迦さまの言葉を戒律面から皆に伝える役目を果たしました。

仏陀の実子 ラーフラ

ラーフラ(羅睺羅:らごら)はお釈迦さまの実の子です。釈尊の出家の以前に生まれた彼は、長じて仏弟子の道を選びました。

お釈迦さまが故郷に帰還した際、彼もまた沙弥(比丘となるまでの年少の見習い修行者)となります。その後20歳で比丘(正式な修行者)となりシャーリプトラについて多くを学びました。

当初は釈尊の実子ということで特別扱いを受け、遊びに興じることも多かったと言われていますが、のちに心を入れ替え修行に励み多くの僧侶に慕われるようになります。

ラーフラは密行第一と言われ、不言実行で修行に打ち込むことを称えられていました。あるいはよく学ぶということから学習第一とも称せられています。

経を伝えた アーナンダ

アーナンダ(阿難:あなん)はお釈迦さまの付き人として誰よりも多くその話を聞いていたことから「多聞第一」と呼ばれています。

彼の生まれには諸説ありますが一般的にはお釈迦さまの従兄弟にあたると言われていて、釈尊の帰国時に他の諸王子とともに仏弟子になったと言われています。

アーナンダはたいへんな美男子だったので女性に言い寄られることも多々ありましたが、その都度意思を保ち修行を全うします。そして釈尊が入滅するまでの25年間、付き人として身の回りの世話をしました。

入滅ののちにお釈迦さまの教えを再確認した「第一結集」では、釈尊の言葉をもっともよく耳にしていた弟子として、ウパーリとともに語り役となって主に経の面から釈迦の言葉を口述しました。

仏教経典の多くは「如是我聞(私はこのように聞いた)」という定型句からはじまりますが、この「我」の多くはアーナンダのことであると言われています。

仏教教団は釈尊入滅後も拡大していった

さて、どんな階級の出身者も受け入れる仏教教団には、出自も様々な面々が集うことになりました。

こうした人々が釈尊入滅後も教団を支え、ついにはインドを飛び出し中央アジアから中国へ、ついにはアジアの果てにある日本にも仏教が伝えられることになるのです。

ってことで今回のお話は終わりっ!!

次回はお釈迦さまの最期の時をご紹介します。ではでは~(*´▽`*)!!

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