仏教の「世界に実体はない」とはどういうこと?わかりやすく解説します。




やあ、天狗堂です。こんな質問をいただきました!!

・この世にあるものに実体がないことについて、わかるようでよくわかりません。教えてください(‘▽’)

なるほど・・・これは根本的な質問ですね。ということでじっくり説明してみましょうか。

仏教で扱うのは「心理学的な世界」

ものにはいろんな視点がありますが、仏教で扱うのは「心理学的な主観世界」です。

つまり、個人が世界をどのように認識するかを重視するわけです。

これは客観的な視点を重視する「物理学的な世界観」とはことなるものです。

出発点はお釈迦さまの個人的な動機

そもそも仏教はお釈迦さまの「自分が抱えるこの苦しみをなんとかしたい」という、きわめて個人的な動機からスタートしました。

ですから「お釈迦様(私たち)から見た主観世界」がベースとなるのはある意味当たり前の話なんですね。

さて、それでは質問にあった「(私たちの目から見て)実体はない」とはどういうことかお答えしていきましょう。

人の認識はどんな仕組み?

まずは人間がどのように世界を認識するのか見ていきましょう。

ますは「そのまんまの現実」ってのがあります。

わたしたちはそれを感覚器官でキャッチして、電気信号に変換します。

電気信号が神経から脳へ伝わり、そこで「言葉として認識できる形(意味)」として受け止められるのです。

この時、仏教用語で「そのままの現実」を現量、「言葉として認識できる形(意味)」を比量と呼びます。

現量・比量についてはこのブログが詳しいです⇒仏教論理学(因明)について

私たちが見ている(と感じる)世界は比量の世界

つまり私たちが見ているのは「現量」ではなく、感覚器官から脳にいたるまでに加工された「比量」ということになります。

例えて言うなら加工されまくったプリクラ。あれを「これが現実だ!」と思いこむようなものです。

実際、目の大きさとかすごいことになってますよね・・・。

これと同じで、現量を比量に変換する際「歪み」が起こります。

歪んだレンズを通して現実を見れば、受け取ったものも歪んでいるということですな。

分かりにくいので図にしてみました

この図の物体Xが本当にリンゴか?それはわかりません。

ですが我々は言葉のはたらきによって「認識可能な形=比量」に変換し、それを現実として(であるかのように)見ているのです。

認識の誤りの一例。妻を帽子とまちがえた男

この「認識機能」に障害が起きれば、人は世界を奇妙な形で認識します。

その一例に『妻を帽子とまちがえた男』というノンフィクションを挙げておきましょう。

この本の中で、脳機能に異変が起こり「自分の妻を帽子と見間違えて『かぶろう』とする男性」が登場します。

「妻」と「帽子」の取り違え

図にするとこんな感じになります。

重要なのはこの場合、あくまで男性の主観世界では「帽子」だということです。

どんなに奇妙な認識であれ、彼の中では実体(であるかのように)見えているわけですな。

人間は誰しも「現実」を正しく見ていない

例に挙げたのは「脳機能に異変があった事例」でしたが、これは特殊なものではなく、

「われわれ人間は何らかの形で現実を誤認している」

とするのが仏教の立場です。

歪んだ認識をもたらす要因とは!?

現実を誤認する要因となるのが、

「思いこみ」「偏見」「憶測」「無知」

などです。

こうしたフィルターを通すことで「ありのままの現実」を歪めて受け取ってしまいます。

その仕組みがこちら。

実はこの「歪んだ認識をもたらす原因」は、いくつかのパターンに分類することができます。

私たちの悩みや不安はこの「歪んだ認識のパターン」から発生するのです。

そのあたりをまとめて紹介しています。ぜひご覧ください⇒人生の悩みや迷い、その心配を徹底的に取り除く10の考え方

認識を逆から見ると「私たちの見る世界は幻」となる

認識の仕組みはだいたい理解できたでしょうか?

これを逆に考えると、

「私たちは思いこみの壁によって現実を正しく認識できない」

となります。

これは大なり小なりすべての人間に言えることです。

ですから仏教では「(私たちの見る)世界は(認識の欠陥によって)幻である」とするわけです。

人間は世界を「解釈する」ことで外界に触れる。だから「リアル」などどこにもない、ということになるわけです。

すべてはお釈迦さまの個人的動機からはじまった

この認識の仕組みはたぶん心理学等の分野でもほぼ同じように言われているでしょう。

仏教ってのは根本を探ると「心理学っぽい宗教」と言えます。同じ宗教のくくりであっても神道やキリスト教、イスラム教とはノリがかなり異なることがわかるはずです。

それもこれも全ては2500年ほど前、お釈迦さまが「自分の心に抱える苦しみを解決したい」という極めて個人的な動機からスタートしたことが原因です。

・・・ということで、この話はおしまい。「この世にあるものに実体はない」とはどういうことかご理解いただけましたでしょうか?

ではでは~







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