悟りへの道「三学」と戒律。仏教徒が守るべき内容はどんなもの?




三道のまとめと「三学」

やあ、天狗堂です。

前回までの記事で、

・仏教は「人生は苦である」「輪廻は苦である」ということを問題としている
・輪廻とは「死んでもまた六道の世界のいずこかに生まれ変わる」とするもの
・その輪廻は「惑→業→苦」の三つ(三道)を繰り返すことで発生する
・この原因(三道)を断てば輪廻から抜け出すことができる

という理由から惑業苦の三道について見ていきました。

惑(煩悩)に関しては:悩みの原因は○○!?仏教が見る苦の原因「三道」と「三毒」を、
業に関しては:業(カルマ)って何?因果と仏教、業の関係を徹底的に説明!!を、
苦に関しては:一切皆苦で四苦八苦!仏教における苦の分類とは?をご覧ください。

さて、このようにして輪廻の苦しみから解脱するためには「惑と業を断ち切ること」が必要ということになります。

ではこれらを断ち切るには具体的にどのようにしたらいいのでしょう?

その答えが「悟りの智慧」であり、その獲得方法を仏教では「戒・定・慧」とまとめ「三学」と呼んでいます。

・戒:いわゆる戒律のこと。修行者が持する戒め
・定:禅定、つまり瞑想のこと
・慧:智慧。完全なる悟りの智慧へ近づいていく段階

このように「三道」が苦の発生のメカニズムを指すものならば、「三学」は悟りの智慧へ至るためのマニュアルと言えるでしょう。

ですから、三学は仏教の最終目的である解脱に至るために、かならず実践しなければならない基本的な行いです。この三学を修することを「修行」と呼ぶのです。

それでは今回は三学の一つ「戒」について詳しく見ていきましょう。

三学その一「戒」とはどんなもの?

戒とはサンスクリット語の「シーラ」の訳であり、習慣とか習性といった意味があります。

通常戒と言った場合、善の方向に習慣つけるという考えで、これは自発的なものであり罰則はありませんでした。

この戒を実践する目的は「戒により心身を整え、定(禅定・瞑想修行)に入りやすくする」意義がありました。

このように戒は「瞑想のためのコンディションを整える」ためのものです。

目標ももたず散漫な生活を送っていては、安定して瞑想修行に打ち込むことができないからです。

古来より仏教では「戒は定の因」「持戒清浄は禅定のための故なり」と言われてきました。

このように戒は現代で言うところの「戒め/禁止/罰則」とは少し違います。

内面的に自分自身を律するものであり、倫理や道徳に近いものだと言えるでしょう。

戒と律、あわせて戒律

「戒律」との言葉があるように、仏教では戒と律を区別します。

律は出家者が守るべき生活の規範を指すもので、これには罰則があり他律的な決まり事を意味します。

律は釈尊が自身の教団を拡大していく際に、その教団内で問題や揉め事が起こる度に定められていきました。

こうして最終的には比丘(男性出家者)には二百五十、比丘尼(女性出家者)に至っては三百四十八もの膨大な条項数になったと言われています。(出典により数は異なる)

ちなみに釈尊は入滅の前に「もしも皆の意見が一致するなら、些細な律は廃止してもよい」と言い残しています。

しかし弟子らは「些細な律とはどういうものなのか?」を聞き忘れていたために、一切の変更がないまま現在に至ります。

戒の性質は2種類。悪を防ぎ、善を促進する

戒の性質は大きく分けて二つあります。

・防非止悪:悪を防ぐはたらきのこと…止悪戒・止持戒
・作善行善:善を促進するはたらきのこと…作善戒・作持戒

ただし、ここで言われている「善」とは、一般的な意味での善行というよりは仏教教団内での行為や儀礼をおこなうことを指しています。

また戒には「戒を結果的に守る/守らないよりもむしろ、戒があることに意味がある」という考え方が存在します。

その考えによれば、出家者も在家者も機会があるたびに長老比丘から戒を授けてもらう。しかしそのすべてを守り切れるものではない。

そこでまた改めて戒を授けてもらうことで、再び「戒の精神」に戻るべく精進することが大切である…とされています。

このように戒とは「絶対的な決まり事」でもなく「意味のない空文」でもない、いわば生き方の基盤や立脚点という役割があるのです。

戒を授かることの特別な意味とは?

このように、仏教において戒律は単なる規則や法律以上の特別な意味があります。

「戒を授ける/授かる」という言葉にあるように、戒は資格のある師から正しい条件で授けられることが原則です。

ここに仏教における戒の特徴的な考え方があります。

授戒と受戒。戒を授けるには厳密な手続きが必要

戒は正式な儀式を経て授けられます。たとえすべての戒を暗記して順守していても、儀式によって授かるまでは正式な出家者とはみなされません。

受戒の儀式では3人の師【教育者となる戒和尚(かいわじょう)、受戒を主導する羯磨阿闍梨(こんまあじゃり)、志願者が条件を満たすか審査する教授阿闍梨(きょうじゅあじゃり)と、7人の証人】が必要となります。

そして戒を授ける場を結界し、一定の場を区切ります。これを戒壇と言います。

この戒壇内において10人の自治と議決により、志願者に正式な戒が授けられる仕組みになっているのです。

まずは羯磨阿闍梨が戒を授けても良いか動議を発し、次に教授阿闍梨がそれにふさわしいかどうか審議します。

その後、確認が取れれば7人の証人に異議がないか尋ねます。これに三度沈黙で答えることで、異議がないことになります。

その他にも戒壇内には様々な決まりごとがあり、式は厳密に進行していきます。

戒体とはなんぞや?我が身に備わる戒の力

さて、このように仏教では厳密な式をもって戒が授けられますが、なぜそこまで重要視されるのでしょうか?

それは受戒によって授かる「性質」により、悪をなそうとする心が防止/妨害されると考えられているからです。

この性質を「戒体」といいます。

仏教の戒は決まり事や規則、人を型にはめる堅苦しいものだと思われがちですが、実は戒を授かることそのものによって「悪の心を防止し、善の方向へ向かわせる」はたらきがあるとされているのです。

この戒体とは「善の無表業」が形を変えたものです。

参照:業(カルマ)って何?因果と仏教、業の関係を徹底的に説明!!

善の無表業は悪の行為を防止し、善を行いやすくするはたらきがあります。つまり戒を授かる時の行為や言葉、誓いが授かる者の心に善の無表業を形成するのです。

このような理由から、受戒は単なる儀式を超えた重要なものであると言えます。出家者だけでなく在家の人が授かる五戒もまた、たいへん良いものであると言われています。

ちなみに戒を破る(破戒)と戒体は弱まり、逆に戒を何度も授かると戒体は回復し強まるといわれます。たとえ破戒しようとも自らの意志で戒を捨てる(捨戒)ことがない限り、戒体は存在し続けます。

仏教徒の拠り所「三宝」とそれぞれが守るべき戒

仏教ではそれぞれの立場に合わせ守るべき戒が異なります。

まず、仏と法(仏教の教え)、そして僧を合わせて三宝と呼びます。この三宝を敬い、生きる上での拠り所とする人はみな仏教信者となります。

この「敬い、拠り所とする」ことを帰依、あるいは帰命といいます。

三宝とはなんだろう?

三宝についてもう少し詳しく述べましょう。

1:仏(仏宝)は仏教の教主、すなわちブッダのことを指します

2:法(法宝)は仏の説かれた教えを指します。仏教で「法」というと真理や教え、あるいは存在を意味しますが、ここでは前者の意味で使われています

3:僧(僧宝)は出家者の集団(サンガ)を意味します。ですからここで言う僧宝とは一人の僧侶を指すのではなく、世界中のすべての僧侶の集団を意味します

これら仏法僧の三宝に帰依することを「三帰(さんき)」と呼びます。この三宝に帰依するという文言を三度唱えることで、仏教へ入信したことになります。

仏教信者の分類は7つ。立場に合わせて守るべき戒も違う

ところで仏教の信者を大きく二つにわけると、

1:出家者(いわゆる僧侶のこと)
2:在家者(一般の人々)

に分類できます。

このうち出家者は悟りを目指し修行する人々です。出家者は仏教の教えを護持し、一般の人々に教えを広める役割も果たします。

対して在家者は、一般的な暮らしを営みながら仏教を信仰する人々です。彼らは布施という形で仏教の教団を維持する役割もあります。

このような違いから、出家者と在家者では順守すべき戒律の性質も異なります。

また出家者は年齢や性別によってさらに細かい分類があります。

1:比丘(びく) 成人男性の正式な出家者
2:比丘尼(びくに) 成人女性の正式な出家者
3:沙弥(しゃみ) 少年の、あるいは見習の出家者
4:沙弥尼(しゃみに) 少女の出家者
5:式叉摩那(しきしゃまな) 見習い期間の女性出家者

これらの分類によって守るべき戒をみていきましょう。

比丘・比丘尼

比丘や比丘尼は上で紹介した通り、正式な出家者です。男性・女性とも二十歳以上の成人であることが必須です。

正式な出家者ですので、守るべき戒ももっとも条項数が多く整った「具足戒」と呼ばれるものになります。

この具足戒は伝承によって細部に若干の相違がありますが、『四分律』という戒律の書物によれば、比丘(男性)は二百五十戒、比丘尼(女性)は三百四十八戒にも上ります。

これに対し、現在スリランカやタイ、ミャンマーなどで信仰される上座部仏教では、比丘が二百二十七戒、比丘尼は三百十一戒となります。

沙弥・沙弥尼

二十歳未満の未成年は具足戒を受戒することができません。このように出家しているが未だ具足戒を授かっていない者を、男性の場合沙弥、女性の場合沙弥尼と呼びます。

沙弥、沙弥尼は十戒を守ります。十戒とは、

①不殺生戒:生き物を殺さない
②不偸盗戒:盗みをしない
③不淫戒:性関係をもたない
④不妄語戒:嘘をつかない
⑤不飲酒戒:酒を飲まない
⑥不塗飾香鬘戒:化粧や身を飾るものをつけない
⑦不歌舞観聴戒:音楽や舞や劇などを聞いたり見たりしない
⑧不坐高広大牀戒:贅沢な座席や寝床を使わない
⑨不非時食戒:午後からの食事をしない
⑩不畜金銀宝戒:金銀などの財を蓄えない

となります。

式叉摩那

女性の出家者は正式に比丘尼となるまでに二年の見習い期間が定められていました。これは既婚女性や離婚した女性の場合、妊娠している可能性があったためです。

この期間中の出家者は式叉摩那と呼ばれ、①不淫②不偸盗③不殺生④不妄語⑤不飲酒⑥不非時食の6つの戒を守ることと定められていました。

優婆塞・優婆夷

優婆塞・優婆夷は仏教の在家信者の男女を指す言葉です。

優婆塞・優婆夷が守るべき戒は、

①不殺生:生き物を殺さない
②不偸盗:盗みをしない
③不邪淫:夫婦関係以外の性関係を持たない
④不妄語:嘘をつかない
⑤不飲酒:酒を飲まない

の5つを守ることと定められていました。

出家者に対し、在家者である優婆塞・優婆夷は家族を持ち夫婦生活を送ることは問題なかったため、不淫戒ではなく不邪淫戒となるわけです。

また、在家信者には月に6日だけ出家的な戒律を守る日が定められています。

この日は先の五戒に加え、不塗飾香鬘戒、不歌舞観聴戒、不淫戒が付け加えられます。

この八つの戒のことを八斎戒(はっさいかい)と呼びます。

大乗仏教における戒

さて、ここまでは各仏教宗派に共通するものですが、大乗仏教ではこれに加えいくつかの戒が定められています。

その一つが「三聚浄戒」と呼ばれるもので、これは具体的な規範というより一種のスローガン的な内容です。

①摂律儀戒:止悪、つまり悪を防ぐこと。具体的には上で述べたような戒を順守することを指します

②摂善法戒:行善、つまり進んで様々な善を行うことを指します。合掌や礼拝、仏教の教えを学ぶことなどが挙げられます

③摂衆生戒:利他、つまり他者の利益や幸福に寄与することです。困窮する人を助ける、病気に苦しむ人を看病するなどが挙げられます

もともと戒律には止悪、行善の二面性がありましたが、大乗仏教以前の解釈では行善は受戒などの儀式や作法についてであり、社会的な実践をおこなうものではありませんでした。

これに対し大乗仏教の三聚浄戒は行善を拡大し、利他的な善行や救済もその範囲に含めています。

自分の悟りのためだけでなく、むしろ他者を利することに重点を置く大乗仏教の特徴が三聚浄戒に表れていると言えましょう。

戒についてのまとめ

以上が戒の大まかな説明です。

同じ仏教とはいえ大乗仏教と上座部仏教の間では相違もありますが、究極的な目的は同じです。

つまり心身を整え、環境を整え、習慣を整え、自らの心を研ぎ澄ますことで、三学の次に位置する定(瞑想)に正しく入りやすくなるわけです。

滅茶苦茶な生活や粗暴な態度では正しく瞑想行に打ち込むことはできない。戒はそのためのガイドラインと言えるでしょう。

ということで今回はここまで!!次回は三学の二番目、「定(瞑想)」について見ていきます。

ではでは~!!

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