仏教の瞑想とその効果を解説。瞑想における目的と注意点とは!?




前回のまとめ

やあ、天狗堂です。

前回の悟りへの道「三学」と戒律。仏教徒が守るべき内容はどんなもの?では、

・輪廻の苦しみから抜け出すためには「惑(煩悩)と業」から抜け出す必要がある
・その答えが「悟りの智慧」
・悟りの智慧を獲得する方法が「三学」であり、戒・定・慧の三つに分類される

として、三学のその一である「戒」について詳しく見ていきました。

さて、今回は三道のその二である「定(じょう)」について見ていきます。

定は戒と並んで、解脱へ至る(仏となる)ために必ず実践しなければならない行いです。

ここを理解することで「戒」と「定」がなぜ悟りの智慧へ結びつくのかが理解できるでしょう。

三学その二「定」とはどんなもの?

さて、前回の戒の目的の一つに「心身を整えることで定に入りやすくなる」というものがありました。

この定とは、現代で言うところの瞑想に当たります。

深い瞑想に入ることによって心の散らかりを鎮める修行、あるいは瞑想によってもたらされた境地や心の動きをひっくるめて「定」と呼んでいるのです。

この逆に、心が揺れ動いて散らかっている状態を「散」といいます。

定の別名

定(じょう)はサマーディを訳した言葉です。これを音写すると三摩地(さんまじ)三昧(さんまい)と呼ばれます。その他にも、

・禅定(ぜんじょう)
・心一境性(しんいっきょうしょう)
・等持(とうじ)
・現法楽住(げんほうらくじゅう)
・三摩鉢定(さんまばってい)
・禅那(ぜんな)
・奢摩他(しゃまた)

といった別名があります。

また瞑想のことを「ヨーガ」と呼ぶ場合もあります。ヨーガは仏教の登場以前、バラモン教の時代からある言葉ですが、インドの諸宗教と仏教の瞑想には違いがあることに注意してください。

定の目的

しかし仏教ではなぜ定の修行が必要なのでしょうか?

それは「戒定慧」の三学とあるように、最終的な目的=悟りの智慧を獲得するために定の修行が必要だからです。これを「禅定は智慧のための故なり」と言います。

では定を修することがなぜ悟りの智慧に結びつくのか?こんな譬えがあります。

涅槃(解脱)は悟りの智慧から生じ、悟りの智慧は禅定によって生まれる。灯火は大風の中にあってはかき消されてしまい、その働きを全うすることはできない。しかし灯火を風の吹かない部屋に置けば、その働きを全うすることができる。悟りの智慧もこれに同じ。禅定という部屋がなければその働きは全うすることはできない。

このように、定は悟りの智慧を獲得し、またその智慧を守るためのものです。だからこそ三学のひとつとして定は欠かせないのです。

仏教とインド諸宗教の瞑想の違い

もともと定=瞑想は、仏教の登場以前からインドにあった修行法です。ですからお釈迦様もまず、アーラーラ仙人、ウッダカ仙人といった先人から瞑想の方法論を学びました。

中でも仏教以外の宗教・思想には「深い瞑想に入った境地」を涅槃と考えるものもあります。

これに対し仏教は「定はあくまで『悟りの智慧』を獲得するための手段」と位置付けます。ですからいくら深い定の境地に入ろうとも、それだけで涅槃に入ったとは言いません。

これは開祖釈尊自身が「深い瞑想に入っているうちは確かに心が安楽になる。しかし瞑想を止めると元に戻ってしまう…」という疑問にぶつかったことに起因します。

このあたり、詳しくはお釈迦さまは何を考えていた?仏教の悟りの真実に迫る!をご覧ください。

仏教の定の特徴

さて、仏教の瞑想は大きくわけて二つあります。それは「止」「観」です。

止の定は奢摩他(しゃまた)と呼ばれ、文字の通り心を鎮静化させ、停止させていくタイプの瞑想です。

一方、観の定は毘鉢舎那(びばしゃな)と呼ばれ、これは智慧をもって対象を観察するタイプの瞑想です。

止は煩悩を遮断し、観は煩悩を断滅させる働きがあります。よって仏教はこの「止観」のバランスがとれた状態を理想とします(止観均等)。

定の段階

さて、この止観にはそれぞれ「深さ」があります。まずは次の図をご覧ください。

これは各瞑想の深さを図にまとめたものです。下に行くほど深い(意識レベルの低い)定になります。

まず観の定は色界の瞑想に分類され、初禅から第四禅までの四段階があります。

そして止の定は無色界の瞑想に分類され、空無辺処から非想非非想処までの四段階があります。

そして最後に完全に意識の停止した滅尽定という定があります。心が完全に停止した状態ですので、ここでは智慧も働きません。

さて、仏教では「止観均等」の瞑想が理想的だと考えられています。

図にあるように色界の定は四段階(四静慮)に分かれ、浅い方から初禅~第四禅とありますが、このうちの第四禅がもっとも優れた「止観均等」だと言われています。

もともとお釈迦様が出家して最初に師事した二人の仙人は、ともに止の深い瞑想を行う修行者でした。

ところが瞑想が深ければ深いほど、それは気絶と変わらない意識の停止状態になってしまいます。

これでは苦しみは消えるが根本的な解決にはならない…お釈迦様はそこに気が付いて師のもとを去ったのです。

そして最終的に、止と観を均等に用いる独自の瞑想法を用いて悟りに達したというわけです。

こぼれ話

釈尊が悟りを得たのはこの第四禅の定ですが、ここではまた神通力のようなものも得られるとされています。

そもそも仏教の目標は悟りを開くことですが、しかし超能力的なものを端から否定しているわけでもありません。瞑想の熟達者は異能の力に目覚めることもある、と考えています。これを六神通といいます。

このうち仏教が重視するのは漏尽通(煩悩を断つ力)です。それ以外の能力に関してはたいした価値があるとはされていません。

定の修行方法

さて、定(瞑想)の修行には様々な方法があります。代表的なものとしては五つの瞑想法をまとめた「五停心観」というものがあります。

五停心観

1:不浄観 人間の肉体を汚れたものと観じ貪欲の煩悩を断ずる瞑想
2:慈悲観 すべての生きるものに対し、苦を取り去り楽を与えると観ずる瞑想
3:縁起観 苦の発生構造である十二縁起を観ずる瞑想
4:界分別観 物事に実体はなく、他のものとの縁によって成り立っていると観ずる瞑想
5:数息観 自分の呼吸に注目することで、散乱した心を鎮める瞑想

これらはすべて師の見立てにより、各修行者の性格に合った適切なものが選ばれます。

例えば貪欲が多いものには不浄観を、瞋の多いものには慈悲観を、そして愚の多いものには縁起観を…という具合に、それぞれに合った瞑想が推奨されます。

また、大乗仏教では多くの瞑想が登場します。

・首楞厳三昧経(しゅりょうごんざんまいきょう):首楞厳三昧
・華厳経(けごんきょう):海印三昧
・法華経(ほけきょう):無量義処三昧
・摩訶止観(まかしかん):四種三昧
・金剛頂経(こんごうちょうきょう):五相成身観


等々、大乗仏教では膨大な数の定や観法が説かれています。

定の修行にあたっての注意

このように定は「悟りの智慧」の獲得のために必要な修行です。しかし心の奥深くに分け入る行いでもあるため、そこには危険性を伴います。

・神秘的、奇妙、エキセントリックな体験をする
・気持ちよさに恍惚となる
・高い境地を得たと慢心し、増上慢となる
・心の制御を失い分裂した精神状態となる

これらを「魔境」などと呼び、古くから危険な状態であると厳しく戒められてきました。

それゆえ修行者は熟練した指導者の下で正しい修行を行わねばなりません。

間違った修行法や捉え方、あるいは何らかの事故が発生した際に、きちんと見極め修正してくれる指導者の存在は「定」の修行に必要不可欠であると言えるでしょう。

ということで今回はここまで!! 次回は三学のラスト「慧」についてご紹介します。

ではでは~!!

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