まだお城で消耗してるの?お釈迦さまの出家と挑戦




やあ、天狗堂です。

みなさんは「修行」と聞いて何を想像しますか?

滝に打たれたり火を飛び越えたり・・・いろんなスタイルがありますよね。

王子の地位を捨てて出家したお釈迦さまも、最初は人からこうした修行のやり方を学ぶ必要がありました。そこでまず、当時有名だった修行の先生に弟子入りします。

高名な先生から「瞑想」を学ぶお釈迦様。しかし彼はすぐに「あること」に気がつきます。

今回はこうした「お釈迦様の新弟子時代」について解説していきます。

お釈迦様の誕生から出家まで

釈迦(本名ガウタマ・シッダールタ)はインド社会がゆるやかな発展期にあり、バラモン教の権威に陰りが見えてきた時代に生を受けます。前回までの記事、

古代インドはどんな社会だったのか?

自由思想家とお釈迦さまの誕生

「四門出遊」と生老病死の話

では、こうした時代背景からお釈迦様の誕生、出家に至った理由を説明しています。あわせてお読みください。 

お釈迦さまの出家と心の治療、苦しみの捨て方

さて、「四門出遊」の最後で修行者に出会ってからというもの、お釈迦さまは毎日「今とは違った道」を選べないものか思い悩んでいました。

とはいえお釈迦さまは王家の跡継ぎ。しかもこの当時、お釈迦さまにはすでに妻と子がいたのです。

そう! お釈迦さまは家庭を持っていたのです。だからこそなかなか踏ん切りがつかなかったわけですが…

ある夜、一人寂しい家出を

しかし結局のところお釈迦さまは、ある夜自分の愛馬に乗ってお城を抜け出してしまいます。

出家というと何か、みんなに合掌されながらどこかへ旅立っていく…みたいなイメージはありませんか?

けれどお釈迦さまの場合、ほとんど家出と言ってもいい状況だったわけです。

お釈迦さまの家族とは!?

お釈迦様出家したのは29歳の時だったと言われています。

この時、彼には妻ヤショーダラー(耶輸陀羅)が、さらに息子ラーフラ(羅睺羅)も誕生していたと言われています。

一見すると妻と子を捨てたようにも思えるのですが、古代インドの慣習では「跡継ぎがいるならば出家してもよい」とされていました。

それゆえお釈迦さまは息子の誕生を喜び、その名をラーフラ(龍の頭)と名付けたのです。

(このラーフラはインド占星術のラーフから来ています。

占いにおける惑星の特徴と象意。10分でわかるよう一覧にまとめてみた

現在も西洋占星術ではラーフに当たるものを「ドラゴンヘッド」と呼んでいます)

病的な人物像としてのガウタマ

しかし妻子を捨て、王子の地位も捨ててまで修行の道を選んだわけです。

その理由は「どんな喜びも豊かな暮らしも、いつかは終わりが来る」という漠然としたもの。

なんというか、かなり病んでますよね。

一般的には「清く正しい」イメージを持たれがちなお釈迦さまですが、こういたエピソードからは一種病的な人物像が浮かんできます。

「お釈迦さまはこの世に無常を感じ・・・」などと綺麗な言葉で語られがちな出家のエピソードですが、実際のところ精神的にかなり追い詰められていたのではないか?と推測されます。

精神病ギリギリ一歩手前で、すべてを捨てて旅立った「神経症患者」ガウタマ。

ここから彼の「心の治療」がはじまります。

目指すはガンジス川

文字通りの無一文。身分から解き放たれたお釈迦さまは、その後徒歩で南の方角に向かいました。

目指すのはガンジス川の中流域。

この当時、ガンジス川中流域はもっとも都市が栄えていた地域で、そこには多くの思想家、修行者が集まっていたのです。

「修行者になったものの、自分はまだ何も知らない。ここなら自分を導く先生がいるだろうか…?」

最初の先生との出会い

さて、お釈迦さまは最初の先生「バッカバ仙人」と出会い、修行の基礎を教えてもらうことになります。

しかし、やがてお釈迦さまは「この修行だけでは老病死の苦しみが消えることはない」

と気づき、バッカバ仙人の元を去ります。

次にお釈迦さまは「この人なら!」と見込んだ二人の修行者の元に弟子入りします。

一人目の名はアーラーラ・カーラーマといい、二人目はウッダカ・ラーマプッタという名の修行者でした。

この二人はお釈迦さまの目からしてもたいへん高度な修行者であり、尊敬できる先生でした。

これだけでは苦しみは解決しない

しかし、お釈迦さまはここでもまた、

「先生方の考える目標では、わたしのこの苦しみが消えることはない」

と気づき、そこを去ることになります。

この後お釈迦さまは先生のもとを離れ、自分の道を歩みはじめます。しかしなぜ「先生の目指す境地では自分の苦しみが消えることはない」と思ったのでしょうか?

お釈迦さまの目的はそもそも何だったのか?

それを考えるためには、まず三人の先生からなにを学んでいたか知る必要があります。

お釈迦さまが先生から習ったもの、それは「瞑想」の心得でした。

インドにはいろんな瞑想法がありますが、ここではおおまかに、

「一点に精神を集中すること」

としておきます。

神々とて絶対ではないのだから

もともとインドには精神の集中を重視する風潮がありました。

ここから発展したのが、現代日本でもよく知られる「ヨガ」ですね。

最初の先生となったバッカバ仙人は、この瞑想を通じて「精神の力を高め、天界の神々へ生まれ変わる」ことを目標としていました。

しかし!! ここで注意しておきたいのが「インドの神々は絶対的な存在ではない」ということです。

インドの神々ももちろん強い力を持ちます。しかし彼らは時に争い、悲しみ、時には命を落とす存在なのです。

私の目的は「苦しみの最終的な解決」だ!!

はい、ここでお釈迦さまの目的を思い出してみましょう。

そもそも出家した目的が「生老病死の苦しみから逃れる」ことでしたよね?

ところがたとえ神々になろうとも、怒りや悲しみからは逃れられない。お釈迦さまはそこを超える「苦しみの最終的な解決法」を求めていたのです。

こうした理由からお釈迦さまはバッカバ仙人の下を離れることになりました。

心を停止させる瞑想の極意

つぎに先生となったアーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタの両師は、もう少し抽象的な事柄を目標にしていました。

彼らの目標は「無所有処定」「非想非非想処定」という境地に達することです。

・無所有処定・・・「何ものも真実には存在せず、見る自分(主体)と見られるもの(客体)の区別もない」という境地。自分と他の分け隔てがない感覚

・非想非非想処定…「意識があるのでもなく、ないのでもない」状態の境地。ほとんど精神活動が停止し、そのため欲望すら湧き上がることのない状態。

・・・なんとも難しい話ですね。

俗にいう所の「無の境地」みたいなものだと考えてもよいでしょう。

そして、この瞑想中に「あらゆる苦しみ」が消えてなくなっていることをお釈迦さまは発見します。

心を停止させてもなお発生する問題

ですが!! お釈迦さまは、

「私の悩みはこれでもまだ解決できない」

と感じ、二人の先生のもとを離れてしまいます。

いったい彼は何が問題だと考えたのでしょうか? そして次にお釈迦さまがとった行動とは?

ということでこの話はここまで!!

この後お釈迦さまは「もはや自力で悟りの道を模索するしかない」と考え、新たな修行法に挑むことになります。

というわけで次回苦行への挑戦と放棄。お釈迦さまは修行中なにをしていたの?をご覧ください。

ではでは~。

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