「過去に縛られた自分」から抜け出すための基本的考え




「過去に囚われるな」は理想論か!?

やあ、天狗堂です。

前回は「自己評価の低い人」という問題に対し、「過去に何があったにせよ、そのことに囚われている」ことが原因だとして「そうした仕組みを理解し、考え方を変えていく意思」が重要だと述べました。

詳しくはこちらをご覧ください。

自己評価が低いのはなにが原因?

2017年12月9日

さて、こうした物言いに対しては「それは理想論じゃないの?」という反論があるかもしれません。たしかにそれは一理あります。別に好き好んで自己評価を低く見積もり、その状態に気持ちよさを感じている人などいないと思います。

かたくなに変化を拒む姿勢

けれども、人はときに自分を頑として変えようとしないようにも見受けられます。そして、はたから見れば「考え方を少し変えるだけでいくらでも可能性が広がるのに・・・・・・」と思われるケースが多々あることも事実です。

「この人はずいぶん恵まれた立場にいるのに・・・・・・」と感じる方は多いです。たとえば『ローマの休日』などで有名な女優のオードリー・ヘップバーン。あの方はあれだけの美貌に恵まれながら、自分の容姿にコンプレックスを持っていたそうですね。

絶望的な状況というのは滅多にあるものではない

ここまで極端な例じゃないにしろ、たいていの方は「絶対的に絶望的」な状況にないにも関わらず、自分にはもう未来がない、この状況を変える手段はない、と思いこんでいるのです。

考えてみれば不思議な話ですよね。絶海の孤島や戦場のど真ん中に置きざりにされたわけではないのです。現代の日本において、絶対に悲惨な状況から抜け出せないことなど滅多にあるもんじゃありません。

変化を拒むのは「自分とは固定化されたものだ」という思い込みが原因

ですが、人は状況を変えることを拒み、「かわいそうな自分」に拘泥し、時にはそのことで死を選ぶことすらあるのです。それだけ自分自身を縛る鎖というのは強固なものなのです。自縄自縛というやつです。

これほどまでに「自分や、自分の周りの状況はは変われない」と思いこんでしまうのはなぜでしょうか?

過去のせい、周囲の人のせい、いろいろ理由はつけられます。ですが理由をつけて変化を拒んでも、苦しい、つらいと思う現在の状況は変えられません。

こうした変化を拒む姿勢の根底には「『私』というのは固定的で、変化することのないものだ」という強烈で頑固な思い込みがあるのです。

「自分」という概念は幻想である

さて、仏教では「自分という概念は幻想である」と考えます。自分とはそもそも、心の在り方や周りとの関係によってさまざまに変化する、とらえどころのないものだということです。

そうした夢幻のような自分というものを、強固で変えようのないものだと思いこむから人は苦しむのだ、というのが仏教の根本的な教えなのです。

努力すれば劣等感はなくなる?

たとえば、自己評価が低いという問題を解消するため「必死で努力して自分を高める」という方法があります。たしかに自分を高めていこうという意思はとても大切なことです。

けれど「過去にがんじがらめになった自分」という思い込みを放置したままでは、いくら努力しようと虚しいものを抱えたまま消耗することになってしまいます。「時分の物差しの中で大小を競う」という状態です。

いつも「自分はいかに優れた人間か」をまわりに自慢してばかりいる。あなたの周りにもそうした人はいませんか? そうした人は物差しを持ち歩いて周りと比べないと不安でしょうがないんです。努力を重ねて優位な状況に立とうと「自分を低く見積もることになったきっかけ」からは全く逃れられていない状態なのですね。

自分という幻に気づけば思い込みは捨てられる

それに対しお釈迦さまは「「あなたが言うその『自分』とは幻なんだよ。幻にとらわれてあなたは苦しんでいるんだよ」
とお説きになったのです。。仏教ではこの考え方を「無我」と呼んでいます。

自分という存在は一時的なものにすぎないのだから、いつでも、いくらでも変化できるはずです。であるならば「自分はこんなにダメなんだ」「自分はこうしなくてはいけない」「自分はこんなことできない」という考えもまた変えていくことができるのです。

自己嫌悪から解放されるための5つのステップ

では、こうした自己否定、あるいは劣等感と正しく向き合うにはどうしたらいいのでしょうか? まず状況を五段階に分けて考えてみましょう。

第一段階 自分を愛せないがために生きづらさを抱えたまま一生を終えてしまう

第二段階 自己評価が低い、というその事実に着目する

第三段階 「ダメな自分」を克服しようと試行錯誤する

第四段階 「過去に囚われている」という根本的な問題点に着目する

第五段階 「過去に縛られた自分」という幻想を認識し、あるがままの自分を認めることができる

このような段階を経て、人は自分自身を許し、受け入れることができるのです。

「こうじゃなくてはならない」という思い込みを捨て、囚われてきた常識や思い込みを疑ってみることで、人は初めて本当の人生を歩むことができるでしょう。

今回はこんな感じかな。

ではでは。







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