やあ、天狗堂です。

仕事、恋愛、子育て、お金・・・・・・あなたに悩みはありますか?
漠然とした将来への迷いを感じていないでしょうか?
ここではそうした悩みや迷いを解消するための方策を解説していきます。
まず、ネガティブな気分をを解決するためには
- 「マイナスな考え方や気分はどこから発生するのかを理解する」
- 「その根本にある《誤った認識》の10パターンを理解する」
ことが大切です。

この方法は仏教や心理学の考え方をもとに、天狗堂が導き出したものです。
実際に僧侶として受ける悩みの相談にも用いている方法です。ぜひ活用してください。
お坊さんが培った技術を教えます!!
■目次
まずは悲観的な考え方に陥る仕組みを理解しよう
不安や憂鬱の厄介な点は「その正体が何なのかわからない」という点にあります。
逆にいえば、その正体が何なのかわかれば心の負担は減っていくことにもなりますよね?
まずは不安な気分や悩みが発生する仕組みを理解していきましょう。
あなたの苦しみや不安はほぼ全て、物事の捉え方や考え方から来ている
はい、ここが一番大事です!!
これは何も「周りは関係ない、あなたがすべて悪いんだ!」という意味ではありません。
そうではなく、
- Q:なぜこんなにも苦しいの? 漠然とした不安が頭から離れないの?
- A:それはあなたの「認識」が考え方をネガティブな方向へ迷わせているからだ!!
ということを示しています。
まずは図をご覧ください
感情や気分がどうやって作られるのかを示した図がこちらになります。

このように現実→認識→考え方→気分という流れで人の感情はつくられていくのです。
とはいえ、これだけではよくわかりませんよね?
順を追って説明します。
現実とは言葉になる前の状態を指す
たとえば目の前に赤いリンゴがあったとしましょう。
もしも「リンゴ」という言葉や存在を知らない方がいた場合、これを何だと思うのでしょう?
果物? 赤い実? 体に悪そうな毒々しい色? あるいは食べ物かどうかわからない?
いろんな表現ができますね。ですがどう呼ぼうとも目の前にあるのは私たちが《リンゴ》と呼ぶ物体です。
そのままの現実とはこのようなものです。私たちはこれを言葉のはたらきによって認識しているのです。
認識によって考え方や気分がつくられる
まず「そのままの現実」があり、それを認識し、考え方が生み出されます。
認識とはいわば頭のフィルターのようなものです。
たとえば「デート中に相手が気のない返事をした」ということがあったとしましょう。
いろんな可能性が考えられますよね? 気になるものを見かけたのか、悩みごとがあるのか、お腹がすいていたのか……。
ネガティブなフィルターを用いて認識してしまうと、考え方もまた歪んだものとなります。

私たちは「認識というフィルター」を通して現実を見ている。 歪んだ認識であれば何を見ても悩みや不安の種となる。
後に述べますが、10の認識パターンの中に「ひねくれフィルター思考」があります。
この誤った認識を通すと、世の中のできごとがすべて悪いことのように感じてしまいます。
「この人はわたしに興味がないんだ。つまらない人間だと思っているに違いない・・・・・・」
言うまでもなく、それが正解かどうかなんてわかりませんよね?
ですがひねくれフィルター思考(認識)が身についてしまった方は、それが絶対の真実だと思いこみ(考え方)、不快な気分になってしまうのです。

不安や憂鬱は「偽物の壁」
現実から認識→考え方→気分という流れは理解できましたか?
これを逆から考えてみますと、不快な気分とはもとをたどれば我々の認識からきている、ということが言えるでしょう。
もしも認識が極端な、あるいは誤ったものであれば、私たちは現実を正しく受け止めることができず、ネガティブな考え方や気分が作られてしまいます。
ですから漠然とした不安や憂鬱は、たとえるなら「偽物の壁」であるということができます。
その偽物の壁を作り出しているのはあなた自身なのです。
誤った認識にはいくつかの種類がある。そのパターンを熟知しよう
さて、誤った認識から心の苦しみが生まれる仕組みはご理解できたでしょうか?
次は誤った認識のパターンをみていきましょう。
どのような事例であれ、人が考えることというのは数種類に分類できるものです。
こうした分類を知ることで、人生におけるどのような事例にでも当てはめることができるでしょう。つまり、あなた自身の不安の根源に辿りつくことができるはずです。
1:完全を求める苦しみ、完璧じゃなきゃダメなんだ思考
この完全主義、完璧じゃなきゃダメなんだ思考とは、時にゼロサムゲームとも言われるものです。つまり「完璧な成功だけが成功であり、それ以外はすべて失敗だ」と見做す認知のクセのことをいいます。
こうした完全主義は人の心をひどく苦しめるものです。
たとえばテストで90点をとった子がいたとしましょう。その子に対し「なぜ100点を取れなかったのだ」と叱るか、「90点も取れたんだね」と誉めるか、その違いによって子どもの認識は大きく違ってくることでしょう。
完全主義がひどくなれば、ほんの少しのミスでさえ重大なことのように感じてしまうものです。
その結果、よくわからないこと、新しいことに挑戦する気概が失われてしまうわけです。

しかしながら、この世界において完璧なものなどほとんどありません。
あらゆる意味で完全な夫、あるいは妻、というのが想像できますでしょうか? 少し考えてみればそれが非現実的だということがわかるはずです。
より良い結果を目指すのは悪いことではありません。ただ、それが「完璧じゃないからダメだ」という思考に囚われてしまっていないか、よく注意する必要があります。
2:固定された世界観、どうせ変わらないよ思考
どうせ変わらないよ思考(常住観)とは「ものごとは変わりようがない」と考える認識のクセです。
仏教的には「すべての物事は移り変わる」を基本としています。これを無常観といいます。
常住観はその逆ですね。何かひとつの状態が延々に続くと思いこんでいることを意味します。
どうせ変わらないよ思考は、何か行動を起こそうとする時に強力な妨げとなります。
たとえば今の仕事の給料が安く、上司は横柄で将来性がない、という状況だったとしましょう。
そこで「じゃあ転職しよう!」と考えられるならばよいのですが、常住観に囚われている人は「どこに行ったって結局は同じだよ」と自分自身を引き上げることを放棄してしまうのです。

これは仕事だけに限った話ではありません。
心の病を患う方と話をしていると、この「自分は変われない・変わりようがない」という考えの強固さに驚かされるものです。
まるで「この状況が最高だから変えたくないんだ」と言わんばかりに、自分が今いる場所に固執し続けてしまうのです。
しかしながら、この世に永劫なものなど何一つありません。まして人間の心などいくらでも変化するものです。
3:感情→認識のループ、気分が絶対!思考
気分が絶対!思考とは、自分のネガティブな感情をもとにしてものごとを決めつけてしまうことを意味します。
「自分は人から好かれていないように感じる→だから私は価値のない人間だ・・・・・・」
「私はこんなにも嫌な気分になっている→そんな気分にさせたあいつがすべて悪い!!」
一見してわかる通り、こんな考えにはまったく根拠がありませんよね?
ですが、人はたびたび自分の感情というあやふやなもので物事を判断してしまうのです。

そもそも感情とは認識→考え方の結果、発生したものにすぎません。つまり最初の認識が間違っていれば感情にも妥当性がなくなるのです。
誤った認識が不快な気分を生み出し、その不快な気分をもとに判断するからますます不快になるというループです。
4:ネガティブなものの見方、ひねくれフィルター思考
ひねくれフィルター思考、あるいはネガティブなものの見方とは、世の中のあらゆるできごとを穿った視点から見てしまう心のクセのことです。
あなたのまわりにもいませんか? 感心して誉められたにも関わらず「どうせお世辞でしょ」と悪くとってしまう方って。
そういう時は素直に「ありがとう」と言えばいいのですが、このひねくれフィルター思考にはまっている方は逆方向に考えてしまうのです。
世の中の他人がすべて自分に悪意を向けているように感じられるから、時に良い出来事を無視し、あるいは否定して、最終的に何もかもが信じられなくなってしまうのです。

このひねくれフィルターの発生源は「度の過ぎた謙遜」であると考えます。
すなわち、他人から何か言われるたびに「いやいや、そんなことはありませんよ・・・・・・」と返答していると、それがやがて「自分が褒められるなんてありえない。そんな価値なんてない、私は孤独でつまらない、ダメな人間なんだ・・・・・・」という思考にすり替わってしまうのです。
5:マイナス思考な予測、きっとこうなる思考
ひねくれフィルター思考が他人に向けるものであるとするなら、こちらは「未来」を対象としたものだと言えるでしょう。
きっとこうなる思考は、これから先に起こる出来事すべてが悪いものだと決めつけてしまう心のクセのことです。
その際、頭の中にある心配がほんとうに現実的なのかどうかは関係ありません。
たとえば、朝出かける時「目的地に着くまでに車に轢かれてしまうかもしれない。飛行機が落ちてくるかもしれない」と常に考えていては、まともな日常生活が送れるわけがありませんよね。

この例えは極端かもしれませんが、これに似た悩みは大なり小なり誰しもが持っているものです。
仮にあなたが好きな異性とデートをしたとして、しかしそれがあまり盛り上がらなかったとしましょう。
この時、相手に対し「何が悪かったのかな? もしかして自分のことを悪く思っているんじゃないのかな? ひょっとするとつまらない人間だと思われているのかもしれない・・・・・・」と思ったとしたら、それはひねくれフィルター思考です。
それに対し「今日のデートは失敗だった。次もきっと失敗するだろう。そもそも相手を楽しませることが向いていないんだ。この先もずっとまともなデートなんてできやしない・・・・・・」と考えるのが、きっとこうなる思考です。
どちらにせよその迷いや悩みが絶対的なものだと考えてしまうのが共通していると言えるでしょう。
6:強固過ぎる常識、こうではなくちゃ思考
こうでなくちゃ思考とは「〇〇な時はこうするべきだ」「〇〇なのにこれをしないなんてけしからん」という思考のことを指します。
この認識をこじらせると、あたかも壁に向かって怒鳴りつけるかのように、他人から見て滑稽な人格になってしまいます。

そもそも自分と他人の常識は異なっている場合が多いものですが、こうでなくちゃ思考をこじらせているとその違いに目を向けることができません。
自分の中の常識が唯一絶対のものだと思うからこそ、他人の言動に腹が立ち、妙なところで怒り出したり勝手な恨みをつのらせるのです。
これを繰り返しているうちにストレスがたまり「自分は誰にも理解されない・・・・・・」と、自分で自分を不幸にするようになってしまうのです。
7:ネガティブのリピート、過去が追ってくる思考
お先真っ暗思考とは、頭の中でつねにネガティブなことばかりがリピートしてしまう癖のことです。
ネガティブな思考ばかりがリピートしてしまうのは、あなたの人生が悲惨だからではなく、そうした悪循環から抜け出せないことが定まっているからでもありません。
お先真っ暗にものごとを考えてしまうのは「それが単なる癖であると自覚していないから」に他ならないのです。

「あの時こういうことを言われた」「大変だったのに何もしてくれなかった」「信じていたのに裏切られた」
過去の悪い思い出がつぎつぎ浮かび上がってきて「今、ここ」に集中することができない。
こんな状態に陥ってはいないでしょうか?
人間の思考は案外と肉体的なものであり、反復訓練で整えてやることができます。訓練の方法さえわかれば「後ろ向きな自分」という悩みは解消することが可能です。
8:狂った評価基準、大げさ・みじめ思考
大げさ・みじめ思考、あるいは狂った評価基準とは、起こったできごとに対し適切な評価ができない状態を指します。
たとえば学業や仕事でちょっとしたミスが起こったとしましょう。
その時「ああ、自分はなんてダメなのだろう。この失敗は自分がまったくの役立たずな証拠だ!!」と考えてしまう状況こそ、大げさ・みじめ思考の最たるものです。
逆に、あなたが褒められるべきことをした時に「こんなものは誰でもできることだ」「取るに足らないことでいい気になってはいけない」などと自分の成果を過小評価してしまうこともまた同じ原因からくるものです。

このように(たとえ口に出さないにせよ)適切でない評価を自分に与え続けていれば、それが憂鬱の原因となるのも当然ですね。
そうした評価基準を見直して妥当な評価へ切り替えることが、悩みや憂鬱から抜け出す第一歩となるのです。
9:レッテルによる苦しみ、この人はこうなんだ思考
この人はこうなんだ思考は、先ほどの大げさ・みじめ思考の裏返しのようなものです。
ある出来事が起こった際、妥当でない評価をしてしまう→それゆえに自分を不当に貶めてしまうのが大げさ・みじめ思考の構造です。
それに対し、ある出来事が起こった際「この人はこういうものなんだ!」という先入観やレッテルを貼りつけているために、歪んだものの見方をしてしまうのが、これはこうなんだ思考です。

たとえば「流暢に英語が話せない人間に価値はない」などというレッテルを貼りつけていたとしましょう。
そうしたレッテルによって「自分は英語が流暢でない→だから自分には価値がない」「あの人は英語が話せない→あんな役立たずがなんで自分よりちやほやされるのか」などと自分や周囲の人間に攻撃的になってしまいます。
その結果、心が不安定になり傷つくのはのは自分自身なのです。
自分にも他人にも、不要なレッテルを貼ることは損でしかないと言えるでしょう。
10:すべてが自分の責任、私が悪いんだ思考
最後に紹介するのが私が悪いんだ思考、あるいは自責・自罰的傾向です。
これは誤った認識の中でも最も辛いものだと言えましょう。
私が悪いんだ思考を拗らせてしまうと、世の中のありとあらゆるものが自分の責任のように感じてしまいます。
「あの人が機嫌が悪かったのは私のせいだ」「プロジェクトがうまくいかなかったのは私が悪いからだ」「家族を困らせているのは私のせいだ」
このように、すべての物事を自分自身の責任だと引き受けてしまい、やがて心を病み、最悪の場合自死に至ってしまうのです。

しかし考えてみてください。世の中に「自分一人が完全に悪い」できごとなどそうそうあるものでしょうか?
よくよく考えてみれば、ものごとは偶然他からの影響で失敗することもあれば、たまたま計画通りにいかなかったということもあります。
そうしたことを無視して「自分がすべて悪いんだ!」と決めつけてしまうのは、視野が狭まっている証拠です。
そうした構造に気付くとき、この私が悪いんだ思考の無意味さに気付くことができるでしょう。
どんな悩みや不安もこの10のパターンで分析できます
さて、誤った認識パターンの紹介はこれで終わりです。
この10のパターンで、すべての悩みの根本に何があるのかつきとめることができます。
日常の些細な迷いから、対人恐怖症、潔癖症、自殺を考えるほどの悩みまで、根本にあるものは同じです。
すべてはあなたの認識から来ているのです。
次回はここで紹介したパターンを例題にあてはめていきます。4つのステップのうちの三番目に当たる箇所です。

今回はこれで終わりです。
ではでは。
誤った10の認識のパターンを紹介しました。では、これを具体的な問題にどう当てはめていけばいいのでしょうか?
ここでは仮の問題をもとに、10のパターンがどう当てはまるのか見ていきます。これを読めば悩みや不安を効率的に分析し解決に導くことができるでしょう